同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

— 命を見いだすために —

石井 和幸

「渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。『私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。』すると、エリシャは、『では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように』と言った。」
(列王記第二 2:9)

 4月、私達の教会では、専門学校生の相澤 遥姉が救いの恵みに与るという、大変感謝なことがありました。
 遥姉は信仰告白(救いの証)のなかで、婦人伝道師の盡子先生を悲しませてしまったことに、自らの罪深さを示され、救いの動機になったことを語っていました。子供の時から教会に通い、先生に愛され、自らも先生を慕って喜びと涙を共にした、だからこそ、自らのために心がはち切れる程悲しむ先生を見て、本気で先生の手をギュっと握り涙を流す遥姉の姿がありました。
山本盡子先生は私達夫婦に対し、「私も、(婦人伝道師である)和子先生に見放されたら、自分が自分でいられなくなってしまうだろうと、子供の頃から思っていた」と話してくださいました。それは救いに至り、そしてその後の信仰生活も常に先を歩む師に従い、喜びと涙を共にする盡子先生ご自身の証でした。
 遥姉と盡子先生の証を聞いた私の家内は、「私にとって、それはKGK(キリスト者学生会)だった」と話しました。家内はKGKの春期学校で救いの恵みを受け、やがて社会の様々な困難、誘惑に出会いながらも、教会に仕え、また社会に証を立てて行くKGKの先輩達に刺激をうけ、また祈られて、自らもしがみつくように小さな教会にて、神様に仕える生活を送りました。
 私にとって、決して手放すわけにいかなかった真理とは、文句を一切言わずに神様に仕え、教会に仕える両親の姿でした。「今は良く分からないけど、また自分のやりたいことも沢山あるけど、決して手放してはいけない」何かを私は感じ取っていたのでした。それは神様の厳しさ、優しさ、素晴らしさだったのかもしれません。それはやがて私が中学生の時に救いの恵みを受けることへの、道筋となったのです。その後の私は、大学生、大人になるにつれ、ひとりよがり・・・自己流の信仰生活をしていきました。そんな私に、愛をもって注意を促し、軌道修正を忍耐をもってして下さったのが牧師の山本嘉納先生、盡子先生でした。先生方のおっしゃることが納得できないこともありました。話半分で聞いていたこともありました。けれども私は、先生方の生き様の中に真の神様が介入されておられることを認めました。それを手放してはいけない・・・手放さないためには、信じて従っていかなければならないことを、年を重ねていく事に示され、そして従う者に神様は恵みと憐れみを豊かに与えて下さることを知りました。
 私達夫婦がなすべきことは、誰がこういう成功をし、こんな失敗をしたということを伝えていくのではなく、どんな状況にあっても、キリストを真理とし、命としている聖徒達・・・主にある同労者がいること、自分達もその人達に倣って今歩んでいることを、後に続く人達、そして与えられるであろう子供達に伝えていくことなのです。そしてやがてその人達が主なる神様の前に立たされた時に、キリストの十字架を仰いで救いを受けることを、願い、そのために祈っていくことを示された4月でありました。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict