同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— ペンテコステに考えるべきこと —

「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。・・見よ、世の罪を取り除く神の小羊。・・その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。」
(ヨハネの福音書 1:26、29、33)
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。」
(ヨハネの福音書 14:16~17)

 ペンテコステは、イエスの十字架の死と復活に並ぶ、キリスト教信仰の中で最も重要な出来事の一つです。そして、そのとき主の弟子たちが経験したのと同じ聖霊に満たされる経験を私たちがさせていただき、聖霊に満たされた生涯を歩むことほど大切なことはありません。
 繰り返し説明してきたことですが、イエス・キリストは旧約の律法に生きられたのであって、真の新約時代は聖霊がおいでになって幕をあけたのです。聖霊はイエスの霊であられて、イエスを私たちの内にあらわされるのです。聖霊のおられないキリスト教は、単なる知識に過ぎません。私たちが罪を悔い改めてイエスの十字架の贖いを信じるならば、救いの経験に導かれます。その時聖霊は確かに私たちの内に宿ってくださいます。罪の赦しと新生、天国の約束はそのとき与えられます。そして、真摯な信仰生活を続けるなら、やがて聖霊のバプテスマを受けることができます。それが各人のペンテコステに相当する恵みの日です。
 救いの経験は非常に大きな恵みであって、聖霊の満たしの経験を与えられた人には、それがあまりにもすばらしいものであるために、救いの経験を忘れてしまいがちであるかも知れませんが、決して過小評価すべきものではありません。
 ペンテコステの前も、そして後も、真摯な信仰生活を続けること、それが鍵です。私たちが真摯な信仰生活をしないで、大きな恵みを期待することは、空しいことです。真摯な信仰に歩みつつ、豊かな恵みを真剣に求めましょう。ペンテコステに相当する聖霊の満たしを経験する信者が少ないという現実があります。それは真摯に歩むことと、神に従い、神はそれを下さると信じることの両方を満たす必要があるからです。

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