聖書研究
— 万人祭司・万人予言者・万人王(第29回) —
野澤 睦雄
2. 旧約における三つの職務の考察(つづき)
2.2 預言者(つづき) 
- エレミヤ
エレミヤはユダが滅亡し、人々がバビロンに移住させられる時に、預言者の働きをした人です。アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚の時まであった。彼の家系は祭司でしたが、預言者として働きました。
(エレミヤ書 1:2〜3)ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤ・・彼はバプテスマのヨハネ同様、生まれる前から神に使命を与えられていて、母の胎にいるときから、聖霊に満たされていた人物です。
(エレミヤ書 1:2〜1)わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。ヨハネについては、直接「聖霊に満たされている」と書かれていますが、エレミヤについては「聖別し」と表現されていますが、この聖別は聖霊の満たしを伴うものです。
(エレミヤ書 1:5)
あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(ルカの福音書 1:13〜17)
神がエレミヤ自身にあなたを預言者としたと言われたのが、はじめに引用した「ヨシヤ王の第十三年」の時です。そのとき、彼は「私はまだ若くて・・」と尻込みをし、預言者となることを辞退しましたが、神は彼をお取り扱いになり、彼を預言者として押し出しました。そこで、私は言った。『ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。』すると、主は私に仰せられた。『まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。彼はすでに聖別され、聖霊に満たされた人でしたから、彼が預言者として立っていく上で必要なことは、「神のことばに満たされる」ことでした。
──主の御告げ── 』
そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。今、わたしのことばをあなたの口に授けた。見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。
(エレミヤ書 1:6〜10)
エレミヤは気弱な、引っ込み思案な性格の人です。神はエレミヤにみことばを与えましたが、その性格を変えて、勇猛果敢な人物とはなさいませんでした。弟子のテモテに、パウロは「信仰の戦いを勇敢に戦いなさい」(テモテへの手紙第一 6:12)と励ましていますが、神は直接エレミヤを励ましてその預言職を続けさせなさいました。
このことは、預言職だけでなく神が人間をお用いになる時の原則的なあり方を示しているように思われます。気弱な人であるからこそ、神に信頼してその働きに進んでいくことが必要となるでしょう。知識や技量の不足は、働きをためらう原因になりますが、それらは経験を重ねると身についてくるものです。しかし、性格はそう簡単に変わっていくものではありません。もちろん、性格も全く変わらないのではありませんが、年齢、経験等によって、また福音経験によって、それは少しずつ変化すると考えるのがよいでしょう。
預言職につく人々に対する神のお取り扱いという視点で考察していますが、このことは私たちの福音経験の姿を示していると考えられます。神は私たちを救いに入れ、新生の命を与え、私たちの心を潔めて、神の愛を私たちの心に注いで下さいますが、私たちの性格を一足飛びに変えてしまわれるのではないということです。性格というものは、どのような性格であっても、長所にもなれば短所にもなります。自らの生まれつきの性格どおりに生きるのではなく、福音に相応しく自らをコントロールして生きることが求められるのです。
気丈なものは、働きに邁進できるでしょうが、他人の心を慮ることにうといことでしょう。気弱な人は尻込みして委ねられた働きをしないことが起きやすいですが、一方、人の心を気遣うことに優れているでしょう。
気弱なエレミヤを聖別し、聖霊に満たし、神のことばを与え、励ましてその預言職を全うさせなさった神は、私たちをもお取り扱いくださり、それぞれに相応しく働きをさせてくださることでしょう。(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)