同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの復活>

先月の質問
イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活の後の姿(その特徴など)を聖書によって述べて下さい。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.イエス・キリストの復活
5.3 イエス・キリストの復活の後の姿(その特徴など)

(3) イエス・キリストの復活体は、彼の親しい友すらも認識できないことがあった。

「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。・・」
(ヨハネ 21:4)
(4) イエス・キリストの復活体は、戸締まりしてある室内に(戸を開けずに)はいることができ、去ることができた。人々の眼前で姿を消すことができた。それは、この世の体の持つ制限が無いことを示していた。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」・・八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。」
(ヨハネ 20:19、26)
(5) 復活されたイエス・キリストの体は、朽ちず、栄光と力を持ち、霊かつ天に属する体に変化したものであった。もはや、地上の「血肉に属する」ものではなかったのである。
「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ 3:21)
 比較:「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。」(コリント人への手紙第一 15:42〜49)
「兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」(コリント人への手紙第一 15:50)

<今月の質問>
イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活の結果何が生じたかを聖書によって述べて下さい。

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