同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 父への感謝 —

山田 行

主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの家族とは、箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。」
(創世記 7:1)

  6月は「父の日」がありました。5月の「母の日」は町中カーネーションが並んだりテレビや雑誌も「母への感謝特集」など大きなイベントのようになる一方「父の日」の地味なこと・・・
 我が家の子供たちも私が声をかけなければ「あっそうだっけ」みたいな感じでそのまま流れそうになったのですが何とか2人でプレゼントを渡したようでした。
 父親の存在が家庭においてどのようなものなのか最近では色々とメディアでも取り上げられています。私がたまたま見た番組は“朝から夜遅くまで働いているので家族と、ご飯を食べることもあまりなく休みの日にたまに家にいても家族とどう関わっていけばよいか分からない。”というほんの短いものでした。父親は必死に家族のために働いて稼いでいるのに・・・何か寂しい気持ちになったのです。
 私は、自分の父との関係を思い出しました。牧師の家庭でしたのでいつも父は家にいました。毎日夕食はほとんど家族そろって食べていましたがたまに父がいない時の開放感が今でも忘れられないほど、その大きな存在感が私たち子供たちの重しになっていたと思います。父が私の兄や弟とのかかわり方と娘である私とのかかわり方は随分違っていたと思います。父からすれば娘という異性をどう扱って良いか戸惑うことも多かったかと思います。笑っていたかと思うとしくしく泣き出したりと娘の気持ちなど何を考えているか見当もつかないのが男親なのでしょうか?。「何やっているのだ。」と怒鳴って叩かれている兄弟に対し、私には一つ一つ言い聞かせるように叱ってくれました。そして何よりも私との距離をとても大切にしてくれて、私が「お父さんなんか大嫌いだ」と言わせぬようにまた「父は私の願いを何でも許してくれる。全然怖くない。」と言わせぬように「怖いけど大好き」ぐらいな感じ?でしょうか。育ててくれました。その距離感を保つことは容易ではないと思います。そのような中で、父としての大切な使命である神を伝えるということを子供たちそれぞれにふさわしく取り組んでくれました。私が罪を悔い改めるチャンスを見逃すことなくすぐに気付いてくれた父。そして何よりも高価ですばらしいこの十字架の救いに導いてくれたこと、神を信じる信仰は生涯生きるうえで最も大切なことであるとを言葉だけではなくその生き様すべてにおいて見せてくれたことが父からの最高の愛でありました。私が父へいつも、いつも感謝する1つであります。上記の御言葉にあるように父の信仰と神の豊かな哀れみがあったからこそ私のような罪人も箱舟に入ることが出来たのだと思います。今年も「父の日」に父が大好きな羊羹とカードを送りました。そのカードの中には「神様を伝えてくれて本当にありがとう」と書きました。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict