同労者

キリスト教—信徒の志す—

証詞

父の伝道

山田 直樹

 伯父が亡くなった。母の兄である。持病があり、それが遠因で肺炎を起こしたためと聞いている。この伯父がいなければ私の存在はなかった。元々私の父とこの伯父が高校生の時に、出会って親友になった。私の父に強い友情を持っていたこの伯父は、妹を私の父に嫁がせたのである。
 伯父の病気はパーキンソン病だった。掛り付けの医師が診断を下せず、悪化が進んだのだそうだ。
 私の父はその父親つまりは私の祖父の時代からのプロテスタントクリスチャンである。私には妹がふたりいる。3人ともクリスチャンになった。私自身も子どものころから教会へ行き、神さまがいることに疑いは感じなかった。中学三年の1月、教会の伝道集会ではっきりとキリストを救い主として受け入れる決心をした。父の神さま、母の神さまではなく、私自身の神さまとしてイエスキリストを信じたい、そんな思いで決心をした。父母は非常に喜んでくれた。高校入学のお祝いに準備してあった腕時計をその晩記念に渡してくれた。父は家で家庭礼拝を持ったり、聖書を教えてくれるようなことはほとんどなかったが、やはり祈り続けていてくれたのだ、と思う。
 さて、伯父の話に戻る。父は、後には(結婚するのに伴ってキリストを受け入れた)母も、伯父がキリストを信じるようになることを祈り続けていた。伯父もキリスト教に対して、悪い印象は持っていなかったようだ。私は妹たちと、伯父の方は息子三人を、ことあるごとにそれぞれの家に泊まりで遊びに行った。伯父は、自分の息子たちつまり私のいとこ達が、教会の礼拝に行くことを、禁止せずむしろ喜んでいた節がある。向こうは男三人で、騒がしかったこともあるのだろう、そんなことの解消も期待していたと、振り返ると感じられる。
 病名がわかって療養生活が始まった後、伯父は信仰を告白することができた。亡くなった日の枕元で、未亡人になりたての伯母から「『お前も、キリスト教になれ』と、言っていたくらいだから、いっそキリスト教式で、葬儀をしてもいいかなとも、思った。でも、『死んだら、遺族の方の都合の良いようにすれば良い』とも、言っていたから、お寺さんですることに決めた。」と、話するのを聞くことができた。父は、伯父の親友でかつ義理の弟でもあり、葬儀の段取りを伯母や、おじの長男と取り決めて実施した。
 父の10代からの祈りは、実に60年に達せんとする時間を経て、実現した。母が祈りに加わってからでも、ほぼ50年になる。ヨシュア記に、45年の時を経て約束したものを手に入れた男の話が載っている。カレブという人だ。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」これは、パウロの言葉。半世紀の約束かもしれない。
(中京聖泉キリスト教会 会員)

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