同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第43回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

2. 旧約における三つの職務の考察(つづき)
2.3 王(つづき)

 王の職務がどのようなものであるか、それを示している聖書の記事を拾い上げてみましょう。
 「私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が・・・私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(サムエル記I 8:20)
 王の第一の職務は、軍を率いて、他国から自分の民を守ることでした。それなしには、一国として立ってゆくことができません。
 アブラハムは、ソドムの人々と一緒に囚われたロトを救うために戦った記事が創世記の14章に載っています。信仰の父としてのイメージが強いアブラハムですが、彼は勇敢な戦士であり、王であったことがわかります。族長と表現されていますが、彼の時代では、一族は一国家であったのです。
 エジプトで奴隷となり、国家ではなくなっていたイスラエル民族は、モーセに率いられてエジプトを出、荒野の旅をしながら国家としての形を整えました。その時はモーセが王の役目をしていました。
「第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。それでイスラエル人はシナイの荒野を出て旅立ったが、雲はパランの荒野でとどまった。彼らは、モーセを通して示された主の命令によって初めて旅立ち、まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発した。軍団長はアミナダブの子ナフション。・・」(民数記 10:11 以下)と書かれている通り、イスラエルの12部族は部族ごとに1軍団を形成し、それぞれに軍団の長がいました。その軍全体をモーセが統率しました。それはやがてヨシュアに引き継がれていくわけです。(ヨシュア記全体)。
 士師記には、オテニエル(士師記3章)、エフデ(士師記3章)、バラク(士師記4章)、ギデオン(士師記6-8章)、トラ(士師記10章)、ヤイル(士師記10章)、エフタ(士師記11-12章)、イブツァン(士師記12章)、エロン(士師記12章)、アブドン(士師記12章)、サムソン(士師記13-16章)といった士師たちが名を連ねていますが、これらの士師たちは、軍事的に国を守る働きをしたことが中心で、それ以外の王の職務をあまり有効になさなかったことがわかります。
 最後の士師といわれるサムエルは、預言者であると同時に王の役目を果たしました。(サムエル記 I  1-10章)
「サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。」(サムエル記 I 7:13)
 サムエルには、モーセ、ヨシュアの時と同様に豊かな神の助けがありました。しかし、イスラエルの民にはそれが分からず、他の国のように王が軍を率いて守っている国になりたいと彼らは願いました。
 神はイスラエルの人々の望みを聞き入れられ、本格的な王の時代が到来しました。その最初の王がサウルです。
「サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。」(サムエル記 I  13:1)
「サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。『主が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。・・・』」(サムエル記I 10:1)
 彼は神に選ばれた人でしたが、イスラエルの民が納得できるよう、改めてくじ引きによって王として選ばれました。(サムエル記 I 10章後半)
 イスラエルの人々が、王が欲しいと願ったのは、それだけ周辺の国々から圧力があったからです。サウルの第一の職務はもちろんその諸外国との戦争でした。ダビデを殺そうと追い回した記事が多く載せられているため、他のことは忘れられてしまいますが、彼は軍を率いて国を守りました。サウルの死を悼んでダビデが詠った哀歌の一節にこうあります。
「イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。」(サムエル記II 1:24)
彼の働きで、女たちが華やかに装い、飾りものを身につけることができるまでになったことをうかがい知ります。
 残念ながら、サウルが神に捨てられるに至ったことはよく知られています。そしてその後に立ったのが、ダビデでした。
「主はサムエルに仰せられた。『いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。』」(サムエル記 I 16:1)
 ダビデはイエスの王として姿の象徴であり、イエスはダビデの王座に坐られることとなりました。
 ダビデの働きの中心も、軍を率いて国を守ることでした。彼は神を愛し、神のために神殿を建てたかったのに、あまりにも多くの血を流したためにそれを許されなかったのでした。「私は主の契約の箱のため、私たちの神の足台のために、安息の家を建てる志を持っていた。私は建築の用意をした。しかし、神は私に仰せられた。『あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは戦士であって、血を流してきたからである。』」(歴代誌 II 28:2-3)

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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