同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 第1回剣道大会 —

森田 心

「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。」(イザヤ書50:4)

 私共の三男(小学6年)と山本先生の二女(小学5年)は、時々80cmぐらいの長さの棒にスポンジのカバーが付いた野球のバットのようなもので剣道ごっこをしています。それを与えて教えたのは、役員の石井兄です。はじめは面や胴などを打っていますが、いつもだんだんエスカレートして来て、叩き合いがはじまります。教会のみなさんはいつもの見慣れた光景なので驚かずに見ていますが、はじめて見た方はきっとびっくりして止めるほどのすごさです。この二人の関係は似た性格なのか競い合うよいライバルのようです。楽しみなのは、この時期に二人が持ったこのすばらしい関係が、後に福音に彼らが生き働きをする時が来たならば、同じものに向かう力がそこに生まれてくるように思えることです。
 そのためこの二人も、そして教会の若い兄弟姉妹も一緒になって出来るスポーツを考えました。更なる願いとして、それが遊びの程度よりは少しスポーツの型やルールを覚えながら、何回か続けていけるものがあったらと思っていました。そんな思いの中で、教会の若い方々の数人は石井兄と剣道をやってきたことを思いました。そして、長年剣道をしており、指導の立場をとっておられる石井兄に相談して体育館を借り、剣道大会をすることにしました。

剣道1剣道2

 スポーツは上手下手が誰の目にも明かに見えますし、特にこの個人戦の剣道のようなものは勝負がはっきりします。だから本来なら、余りその面が強調されるスポーツを選ぶべきでないのかもしれませんが、でも私はここに私たちの教会のすばらしさを見出したく、難しいと思えるものに向かってみようと思いました。
 この願いをもって進めて行こうとした時、良い協力者たちが与えられました。この剣道をやっていくことについて話をすると、若い兄弟はその下準備のほとんどを負ってくれました。何かをはじめようとする時には、不安や賛同が得られないのではないかと戸惑いを覚えます。けれどもだまってその事に従ってきた兄弟の姿は私に慰めと励ましを与えて下さいました。
 そして1回目の剣道大会をはじめることができました。本誌7月号の教会通信の中に、その時の写真が載っています。当日の剣道では男子が女子に一本とられ、負かされてしまう姿や、スポーツを得意としている者が負けてくやしがっている姿や、あまり好きそうでないと思っていた方が楽しそうに飛び跳ねながら戦っていた姿など、たくさん面白い光景がありました、もちろん最初に書いた二人の対戦もあり、思う存分叩き合っていました。そして最後はまたやろうよという言葉もあって。
 この事を通して、教会のすばらしさを私自身が知る時としていただき、感謝の時となりました。

剣道3

(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 

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