同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

我が信仰とその営みをあらわす

石井 和幸

「私はきょう、あなたの群れをみな見回りましょう。その中から、ぶち毛とまだら毛のもの全部、羊の中では黒毛のもの全部、やぎの中ではまだら毛とぶち毛のものを、取り出してください。そしてそれらを私の報酬としてください。後になってあなたが、私の報酬を見に来られたとき、私の正しさがあなたに証明されますように。やぎの中に、ぶち毛やまだら毛でないものや、羊の中で、黒毛でないものがあれば、それはみな、私が盗んだものとなるのです。」(創世記 30:32-33)

 先日、キリスト者の友人であるSさんと話す機会がありました。Sさんは独身ですが、結婚のために祈っており、最近結婚に立会い新たなクリスチャンホームを牧会されているK牧師の話を私にしてくれました。 「結婚相手を求め、祈る時に『この人が好きだ』という自分の思い入れを優先するのではなく、牧師の視点、勧め、そして周囲の人がうなずき、喜ばれる結婚が大事であることを実感した旨、K先生から伺って、自分も本当にそうだなと思った」・・・といった内容でした。 私は、「あなたが自らの信仰、ビジョンを表明していかないことには、結婚を祈っている姉妹はおろか、先生方や周囲の人にもその思いは伝わらないでしょう。あなた自身、日曜日だけ教会に来ていればいいと思っているのか、それとも本気でこれから教会の屋台骨を担い、証しを立てていこうとしているのか、相手は神を信じ、あなたの信仰をみて飛び込んでくるのだから」とSさんに話しました。・・・私自身、自らの結婚に対しての取り組みは、「教会につながっていれば、祈り続けていればいつかは与えられるであろう」と安易に考えていた時期が長くありました。神はそんな私に対し、真剣に、真実に取り組むことを求めたのです。そういった自分と神との関わりを、Sさんに証ししました。
 先月号にも書きましたが、生まれて10ケ月になる私の娘は、親の態度をよく観察しています。最近は絵本の読み聞かせをすると最後まで視線をそらさず一緒に絵本を見ています。自分のした行動に対し親が喜ぶのか、怒るのか、そういったこともよく観察しています。そうなるともう毎日が教会学校幼稚科を営むような心意気で、夫婦がよく話し合って一貫性をもち、その時々において適切に対処しなければなりません。神を畏れる姿勢をまず親が表明する大切さを示されています。
 創世記30章25節~43節には、ヤコブがラバンに対峙し、信仰によって方策をとるヤコブの姿が描かれています。37節から書かれている、ヤコブが用いた方法には科学的根拠はなく、古代の迷信的行為だったそうです。しかしヤコブは、神が自らの営みに介入してくださることを信じつづけ、毎日、手のかかる作業をしつづけたのです。果たしてこんなことをして本当に神は祝福してくださるのだろうか・・・しかし神はヤコブの信仰と行いに、豊かな応答をされました。
 ある青年聖会で、「神がみことばを通して示されることは厳しく、困難を覚えるかもしれないが、従順をもって仕えていこう」といった内容のメッセージが語られました。 しかしメッセージの直後、若い讃美リーダーが「先生を通して示されたメッセージは厳しいものでした。それに従うことがなかなかできなかったとしても、神様は私たちを憐れみ、愛してくださることを信じます。」とコメントして会衆をリードしたそうです。 聖会の講師は、その言葉を聞いてとても遺憾に思いました。讃美リーダーが言ったことも一つの信仰でしょう。けれども、その聖会で語られた神の御旨とは明らかに違うものだったからです。
 私たちの家庭には、未来に向けての信仰の課題が与えられています。「従うことができるか、できないか」ではなく、「従います」と主の前に告白し、主が共に歩んでくださり、共に戦う隣人を与えてくださることを感謝しつつ、日々の営みを滞らせない者でありたく願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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