同労者

キリスト教—信徒の志す—

随想

— 野球、サッカーの交わりに参加して —

内藤 智裕

 先日、私は、仙台聖泉教会の皆さんが主催する野球とサッカーの交わりに参加させていただきました。昼食をはさみ、午前は野球、午後はサッカーで、改めてスポーツの健全さと楽しさを感じました。さすがに教会が主催するスポーツの交わりということで、参加した一番若い人と最年長者との年齢差は50歳以上はあったと思います。外から加わった私が、そこに参加していた方々を見て、一つの傾向としてですが、若い人たちはサッカーが好きで、若くない(?)人たちは野球が好きなんだということを感じました。もちろん、私も野球のほうが好きです。それと、野球のほうが体力を消耗しない(?)ということもあるでしょう。

 今回、私は野球もサッカーも両方プレーに加わったのですが、実は、これほど本格的なサッカーの試合に参加するのは初めてでした。しかし、スポーツに遠慮は不要です。正直言って、こぼれ球を拾ってシュートを一つ決めようと狙っていたのですが、やはり無理な話でした。紅白戦が始まって、両チームのゴールキーパーが40代後半(?)の方たちで、最初、「おやっ」と思ったのですが、試合が始まると、すぐその理由が分かりました。つまりキーパーは走らなくても良いからなのでした(笑)。肉体的に若いか、そうでないか、それは走れるか否か、なのかもしれません。

 そのサッカーの試合中、私は天国を見たような気がしました。相手選手との球の奪い合いをしているとき、私のシューズ(テニスシューズですが)が脱げてしまいました。そのとき、その青年が私に「大丈夫ですか?」と言ってくれたのです。なんでもないことかもしれませんが、これこそ、天の御国だと思いました。また、試合の大勢が決まっていたこともありましたが、試合の最後のあたりで、味方同士の一番若い選手と一番年長の選手がゴール前で、シュートを決めようとしていたとき、その若い選手は自分でシュートを決められる状態だったのですが、その長老の選手に花を持たせようとしたのでしょう、二度三度とアシストしているのです。結果的にゴールは決まりませんでしたが、やはりそこに天の御国を思いました。

 さて、私は、学校時代にはテニス部に所属していて、野球の経験は二十代の頃になって、兄たちが作っていたチームで草野球をしていたくらいです。しかし、元々は野球が好きで、野球について語らせると、際限がないほどです。そこで、今回ここでは、野球をしておられる方にこれだけは言っておきたいということを語ってみたいと思います。野球の基本はスローイングとキャッチングです。試合や練習で、最初にすることは二人一組でのキャッチボールでしょう。このキャッチボールが実は大切なのです。まず、投げ初めが意外に大事です。最初は短い距離でゆるいボールを投げ合い、段々距離を長くして、球速を上げていきます。野球で最も大事な肩をこわさないためです。実はテニスのときも私は同じようにしています。短い距離からのゆるい打ち合いから始め、段々うしろに下がって、それから本格的に打ち合います。ボールに感覚が徐々に慣れることと、ウォーミングアップの両方の意味があります。さて、このキャッチボールを時間つぶしだと思ってはなりません。投げる人は相手の胸をめがけて投げます。そして、捕球はなるべく自分の胸の前でします。これを意識付けて行なうことによって、コントロールが良くなり、キャッチングも上手になります。特にキャッチングの場合、常に胸の前で捕球する練習を繰り返すことによって、難しいボールに対しても体が自然に反応して簡単に捕球しているように見えるものです。

 バッティングとピッチングについても語りたいことがありますが、何のための文章なのか分からなくなりますので、このくらいにしておきますが、野球が上手になることと、クリスチャンとして成長することとは共通するところがあると思います。イエス様は「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。(マタイ7:24)」と言われました。肩への配慮とコントロールとキャッチングの向上を意識したキャッチボールは、クリスチャン生活の基本、礼拝出席、みことばと祈り、そして証しの生活のようなものです。毎日毎日、毎週毎週の繰り返しですが、それを怠らないことによって、自分自身が守られ、また、野球で言えば本番の堅実なプレー、クリスチャン生活では、実を結ぶことにつながると思うのです。

(シーサイドバイブルチャペル牧師)

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