同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 恐れるものではなく —

齊藤 優子

「神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」(詩篇 61:1-2)

 この年もあと数ヶ月という所までくることができました。神様はいつも私の祈りを覚えて下さり、どんな時にもお見捨てになることはないと信じております。私たちの咎を赦し、罪より救って下さった神様の大きなあわれみの故に生かされていることを心から感謝しております。
 この年、春先には次男が専門学校を卒業し、料理人としての修行をしに東京へ旅立ったことでありますが、仙台を離れ、教会を離れていくことに大きな恐れを覚えました。 次男、本人にとっても苛酷な戦いであり、人が一人で生きていくことの孤独さや辛さを身をもって知らされているようです。
 その中で教会の皆様が心からの祈りによって次男を支えて下さっていることを覚えて本当に感謝しております。
 私共夫婦は、次男に仙台に帰ってきてもらいたい、教会の働きにおいて、どのような形になるかはわかりませんが、その荷を共に担ってもらいたいと願っております。そのことのために神様が智恵を与えて下さり、神様の御心を知ることができるようにと祈っております。
 加えて、長男の就職、長女の受験と厳しい中におかれていることです。礼拝のメッセージの中で、苦難、それは神様との絆であることが語られておりました。見えるものに恐れるのではなく、目に見えないものにこそ目をとめ、神様から確信を頂くことが出来ることは、信仰者にとって大きな力であり、恵みであることを覚えることであります。
 教会においても少しずつ世代交代がなされており、若い子供たちがその福音の働きに一生懸命取り組んでいる姿に、感動を覚えます。この福音の働きに、私共の家庭の子供たちが加わり続けてくれることを心から願ってやみません。

「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(ヘブル 10:39)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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