同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 新しい讃美の興隆を願う —

「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。」(詩篇 149:1)

 ルターの宗教改革の時、人々は聖書を自国語で読むことができるようになりました。それと同時に、当時の民謡、人々の歌い慣れた曲に讃美の歌詞をつけて歌うことがなされて、プロテスタントの讃美歌が形作られてきたことは皆さんもよくご存じのことでしょう。これは新しい歌でした。ひとびとはかつて知らなかった信仰によって罪を赦され義とされ、新生の恵に与るという新しい神経験をし、それが彼らの心に讃美を湧き上がらせたのであることは言うまでもありません。
 ジョン・ウェスレーによって、それまでごく僅かの聖徒しか経験をしておらず、世に隠れていた聖潔が広く世に伝えられ、その恵は多くの人々の経験するところとなりました。その恵の素晴らしさに、「この恵を下さった贖い主を讃美するために、舌が千枚も欲しい」と歌ったチャールズ・ウェスレーの讃美は彼らの共通の思いでありました。
 いずれの場合にも、彼らが讃美の心に満たされたのは、みことばに裏付けられた豊かな神経験が背後にありました。そして、そこに聖霊の豊かな働きがありました。
 ウェスレーに遅れること約100年、私たちの最もよく知っている讃美歌作家のファニー・クロスビーがいます。彼女の時にも聖霊の働きも讃美の炎もなお豊かでした。彼女の讃美歌は、明るく感謝と神を慕う心に溢れていて、私たちの多くがそう教えられなければ、彼女が生後6週間で失明した人であるとは誰も思わないことでしょう。
 聖霊が豊かに働かれるとき、私たちは信仰のリバイバルを経験します。日本においても、いくたびかリバイバルの時がありました。そして、その聖霊の豊かに働かれるとき、いつも新しい讃美の興隆がありました。その時代を担った人々の歌が今も歌い継がれています。
 リバイバルに関連する記事を読んでみると、熱に浮かされた行動のような事柄が多く記されていることに気づかされます。しかし、それらは、本来必要とするものではありません。私たちが求むべきものは、「深い認罪」「確かな罪の赦しと新生の経験」「十字架による贖いに対する深い理解」「与えられた恵に対する感謝」「みことばに裏付けられた神経験」「心の内に燃える聖霊の火」「神のために働きたい情熱」「隣人への愛」です。作詞・作曲の才を有する人々がこれらの経験に導かれる時、讃美の興隆をみることとなるでしょう。
  げに尊き 福音の力により
  眠るみ民の 心さまし
  神のみ前に かちどき歌う
  リバイバルの火をとく
  燃やしたまえ
 (インマヌエル讃美歌335から引用)
 聖霊の豊かな働きがなされ、皆さんの中から失明は他にして第二、第三のクロスビーが輩出されることを願わしめられます。

Valid XHTML 1.0 Strict