同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

主のご計画を悟るとき

石井 和幸

「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」 (ヨハネ15:14-16)

 1994年、プロ野球のオリックスは、仰木 新監督を迎えました。監督は、開幕戦が始まる直前に選手を集めて、こんなことを言ったそうです。「1年目だから、優勝は狙わなくてもいい。ただ、ひとつだけ約束してくれ。グラウンドに出た選手は、負けていても、雨が降っていても、お客さんがいなくても、とにかく一所懸命やってくれ」 実際、シーズンが始まると、仰木監督は「猫の目打線」と呼ばれるくらい、オーダーを1試合毎に変えました。前の日にホームランを2本打った選手を次の日にはスタメンから外したり、逆に何試合もヒットが出ていない選手を突然4番に据えたりしました。選手は戸惑うのと同時に、「本当に勝つ気があるのか?」と士気が下がりそうになります。そうなると仰木監督は、グラウンドの方を見ながら大声で、「開幕のとき、なんて言ったかなあー」と言います。そうすると選手は気持ちが引き締まったそうです。通常は勝っている試合の終盤で使われる守備固めの某選手が、負けている試合なのに、仰木監督から「いくぞ!」と出場を命じられました。選手は驚いて、「えっ?何で自分なの?」という表情をしたそうです。その選手は次の日から二軍に落ちてしまいました。 後半戦が始まる頃には、選手は監督が考えていることを把握しつつありました。監督は、このシーズンをデータ集めの1年にしようとしていたのです。選手は常に、いつでも監督から出場を命じられてもいいように備えるようになりました。ベンチに背中をつけているような選手はいなくなりました。翌年、オリックスは優勝しました。
 私は、家業である今の会社に入社してから10月で1年がたちます。今まで社会人として12年の歩みをしましたので、辛く苦しい1年・・・とは思いませんが、それでも、「どうしてこうなってしまうのだろう?」 「また失敗をしてしまった」 「なぜこういう境遇に自分は置かれるのだろうか?」と心が揺らぐ場面が多くありました。 そのたびに、「開幕のとき、なんて言ったかなあー」という仰木監督のことばではありませんが、主なる神から 「あなたは『主が導かれるところに行き、従います』と確かに告白したよね?」と語りかけられて、教会の主任牧師をはじめ、関係する方々と都度、主の御旨を確認しあうときが与えられ、1年間ここまで守られたことを大変感謝しております。
 オリックスの選手が監督のビジョンを理解したように、私もここまで主に従ってきたがゆえに、主のご計画のなかに自らと、家族があることがわかり、具体的なビジョンも少しずつ与えられています。 目の前に見せられたビジョンを、「私にはできません」と主に申し上げるのか、それともなお主のみ業を信じつつ歩み続けるかは、これからの私の課題であります。神は決して、私たちに「これが御旨だから従いなさい!」と無理強いされるお方ではありません。二軍ならそれでもいいのです。けれども、神ご自身を強く求め、ともに生きることを告白する信仰者には、親が子を愛するのと同じように、訓練の場を与えてくださいます。そして神みずから、「わたしの友」と呼んでくださいます。 「父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」「わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」
 自分勝手に罪のなかを歩んでいた自らが、イエス・キリストの十字架によって贖われ、変えられたのですから、なお神の愛にとどまり、神の御旨を悟り、愛する者に伝えていく歩みを祈りつつ続けていきたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict