同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— ジョン・バンヤン <不朽の名作天路歴程の作者> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/kidakei/
にアクセスすると元の文を読むことができます。>


 ウォーレン・ワーズビは、天路歴程は、「英語圏で生み出された最もポピュラーなキリスト教文学の古典である」といった。また、ホイートン大学の前学長であるV・レイモンド・エドマンは、「ジョン・バンヤンは、神の真理を説教した罪で鎖につながれたが、その霊は自由であった。パウロのように、バンヤンの著作もまた、世紀を超えて生き続け、聖書が、多くの国の言葉に翻訳されるにつれ、バンヤンの天路歴程もまた、それに続いた。」と簡潔に述べている。そして、その「偉大な王の都」へ入るという第一の特徴については、「霊的真理を非常にわかりやすく記してあると同時に、多くの人々によって、それが英語で書かれた最も優れた作品であると認められている。」と語る。
コルリッジは、確かに控えめに、こう語った。「聖書は別として、他のすべてのものと比較しても、私の経験と判断によれば、これほど安心して推薦できる本は、ほかにはない。」
また、他の有名な文学者は、「マコーレイは、バンヤンについての彼の有名なエッセイの中で、このような賛辞を彼の才能に対して贈っている。『その素晴らしい本は、最も気難しい批評家たちからも賞賛されているが、学問のない人々にも愛されている。…バンヤンの文体は、あらゆる読者に魅力的で、英語を幅広く自由に使いこなす力を得たい人々にとって、非常に価値のある本です。われわれの文学作品の中で、それほど言語表現に富んだ書物はほかにはない。』」
 引用された賛辞を見る限り、バンヤンがほとんど正規の教育を受けていず、もちろん、高等教育を受けてはいなかったという事実は、驚くべきことです。彼は、神によって練られた人物であった。キリストを知ってから、彼は鋳掛屋としてあちこち旅行をしながら、だれかに、そしてすべての人に、出来るなら、何時でもどこでも、力ある救い主について語るという重荷を単純に背負った。そして、人々は、いよいよ、彼の言葉に熱中するようになった。この人気が、彼と既成教会との間に争いをもたらし、彼が、自分の個人的な確信について、断固とした態度をとったため、結局、12年間の悲惨な獄中生活へとつながっていった。
 著名な英国の歴史学者であるフルード(12巻の英国史、多くの偉人伝などの著者として有名)は、バンヤンの全生涯を描き、彼が、正式の裁判を一度も受けなかった事、彼が良心のゆえに、恩赦を拒否した事を指摘した。フルードが言うように、彼の獄中生活は「もし彼が説教することを私的なグループにのみ制限する約束をすれば、いつでも終わったであろう。」
彼は、扶養しなければならない妻と四人の子ども―そのうちの一人は盲目で、彼の投獄中に亡くなった―を置き去りにした。善良な妻は、彼の逮捕のショックで流産をし、彼の保釈を取り付けるには無力であった。もし、彼が望むなら、公認された教会で、数千人の人々を牧する事も出来たであろう。しかし、その代わりに、彼が牢獄で書いたものは、長い期間にわたって、彼の声をもはや聞くことが出来なくなっても、数百万の人々を牧し続けた。
唇の言葉と、彼のたくさんの著作によって、バンヤンは、彼の生涯における大いなる救いを証した。 彼の回心の正確な時について、伝記作家たちは、彼が全巻にわたって、その荒れ狂う信仰生活の展開を書いた「恩寵溢れる」という本からは、その正確な位置づけを知るのは難しい事を発見した。
 既成教会は、バンヤンのような人の必要を満たすことは出来なかった。フルードは、「突然、罪の自覚がやって来て、あいまいな答えでは満足することの出来ない、熱情的な人物に対して、英国教会は、何も言うことが出来なかった。もし、彼が、静かで、道理をわきまえた人物であったら、彼は、そこ(英国教会)に彼の求めるすべてのものを見出しただろう。熱情的な性質は、もっと、完全で、首尾一貫した何ものかを求めるものです。」と言っている。
若い頃、バンヤンは、時々、彼の霊的状態に関して、深刻な罪の意識を持ったように見えた。明らかに、ひどい罪を犯したわけではなかったが、彼は、周期的に、世的で軽薄な言動、ダンス、偽り、安息日破り、神の御名を冒涜する事などについて、悩んだと告白する。
ある伝記は、「彼は、罪に対して病的なほど過敏であった;彼は、永遠の刑罰の恐怖によってひどく苦しめられたいた;彼は、彼の恵みの日は終わってしまったと考えた。」と記している。そして、無関心への180度の転換をし、また、この罪の意識が、彼をもっと惨めな状態へと陥らせるのであった。絶望の中で、彼は、悪魔が、自分をその支配の中に置いていると思ったのであろう。
多くのバンヤンの伝記作者は、彼が、神の全き真理に入り、回心するのに助けとなった、彼の生涯に起きた、2、3の出来事や試みに注目している。
 バンヤンが、如何にして自分の必要を悟ったかをしめす一例として、彼は、「ある日、私が、近所のお店のウィンドーの前に立ち、いつものように、呪ったり、誓ったり、気の狂った男をからかったりしていると、そのお店の女性が、中でそれを聞いていて、彼女は、非常にだらしのない不敬虔で卑劣な人であるにもかかわらず、私が、口を極めて誓ったり呪ったりした事に抗議をし、私の言葉を聞いて恐ろしくなったと言った;そして、私が、その様な行いによって、町中の若者を皆だめにしてしまうに違いないと言った。この叱責で、私は沈黙し、密かに恥じた。そして、天の神の御前においても同じであると思った。
その場所に、私は頭を垂れて立ち、真剣に、小さな子どもに戻りたいと思った;なぜなら、私は、その様な振る舞いが、染み込んでいるため、改心する事を考えるのも無駄な事だと思ったからです。」と言っている。  その婦人に非難されたすぐ後で、彼は、「信仰を告白する、ひとりの貧しい人と出会い、聖書について楽しく語り合った」。このようにして、バンヤンは「聖書を学び、聖書を学ぶ喜びを知るようになった」。
 注目に値するこの出来事は、いっそう詳しく述べられるのが一般的です:「その日、神のいつくしみ深い摂理は、仕事をするために私をベッドフォードへ導いた。私は、三、四人の貧しい婦人達が、ひなたのドアのところに座り、神の事について語っているところへ来た。すると、彼女達の語る事を聞きたくなり、私は近づいて、彼女達の話を聞いた。
彼女達の会話は、新生について、神が彼女達の心になさった御業について、また、いかにして、彼女達が生まれつきの惨めな状態を悟ったかについてであった。彼女達は、どのようにして、神が、主イエスにある愛をもって、彼女達の魂を訪れて下さったか、どんな言葉や約束によって新鮮にされ、慰められ、悪しき者の誘惑に対して守られたか、悪しき者の襲撃をいかにして撃退したかについて語り合っていた。彼女達はまた、彼女達の心の哀れな姿と不信仰について語り合っていた。そして、私には、彼女達が、喜びのゆえに、そう語らせられているかのように思えた;彼女達が、聖書の非常に麗しい言葉で語り、また、彼女達の語る事全てに、恵みが満ちているので、私にとっては、彼女達がまるで新しい世界を発見したかのように思えた。私は、彼女達から離れて、仕事に戻ったが、彼女達の会話は、私の心にずっと留まった。それは、彼女達の言葉に非常に魅了されてしまったからです。
 その次に起きる出来事は、バンヤンが確信を得るまたとない機会を与えたように見える。彼は次のように物語る。「ある日、野原を通り過ぎていた時、その時もまた、ある事が、私の良心を打ち砕いていて、全ての事が間違っていたのではないかと恐れていた。
突然、『汝の義は天にあり』と言う言葉が魂に臨んだ;そこで私は、魂の目をもって、神の右の座に、私の義としておられるイエス・キリストを仰いだ;そして、私がどこにいたか、あるいは、私がなにをしていたかに関らず、神は、私について何か言われるのではなくて、私の義を求められるのだ、神ご自身の前における義を求められるのだ。私はまた、それ以上に、私の心の良い有り様が、私の義を向上させるものでもなければ、私の心の悪い有り様が、私の義を一層悪いものにするのでもないことを知った。なぜなら、私の義は、『きのうもきょうも、いつまでも、同じ』イエス・キリストご自身であるからです。」
 「今や、私の鎖は、事実、私の足から解け落ちた。私は、私の悩みと枷とから解放され、誘惑は去った;今や、私も、神の恵みと愛とによって、喜びつつ故郷へ帰った。」
 Wm. ヘンリー・ハーディング著「ジョン・バンヤンの生涯」の中には、『この疲れきった紆余曲折の日々を通して、彼は、次第に、栄光のゴールに近づいた。彼の理想は、確かな回心であり、霊的新生であった:「それを経験しなければ、決して満足できなかった回心した栄光を、確かに私は得た。もし、全世界を持っていたとしても、これを得るためには、その一万倍以上を費やしたであろう。』」
 私たちは、エドマン博士の言葉をもって結論としよう。「近所の人々や友人達は、彼の生涯に起きた偉大な変化を知り、彼に、聖書の御言葉を自分達や他の人々に話してくれるよう頼んだ。彼はためらったが、神が、彼に説教し教える奉仕を授けられたのだと説得された。」ジョン・バンヤンのゆえに神に感謝!



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<以下編集者追記>
上の本文に、彼の回心の日が見つからないと書かれている、バンヤンの「罪人らの首長に恩寵溢れる」という自伝があります。
先の文に書かれていた、盲目の娘をふくむ家族を残して入牢しなければならなかったときのこと、彼は子牛から引き離され、神の箱を載せた車を引いてベテ・シェメシュへの道を進んでいった雌牛(サムエル記Ⅰ 6:12)に自分を重ねました。使命の道で後ろを振り返ることができなかったのです。
涙と共に読んだものでした。
入手できる方は、読んでみられることをおすすめします。