同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 時を知る者 —

吉田 浅

 ハレルヤ。すべての栄光と力を受けるべき方からの祝福と平安がみなさんおひとりおひとりにあるように祈っています。
 聖書に信仰者は時を知っている人間であると記されています。「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは私たちが信じたころよりも、今は救いが近づいているからです。夜はふけて昼が近づきました。ですから、私たちはやみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。」(ローマ13:11~12)
 信仰者はこの世の警醒者です。眠っている者は夜であることを知りません。この時代は終末が近づき、夜明け前の最も暗い時のようです。その中で光り輝く者として生きる使命が信じる者にはあります。そこに信仰者と教会の苦闘があります。教会を建て上げる時、私たちにはしばしば失敗に思えるような出来事があります。昔、エルサレムから3キロメートルほど離れたところにベタニヤという町があり、そこにマルタ、マリヤという二人の姉妹とラザロが住んでいました。彼らはイエス様をとても愛していました。イエス様も彼らのことをこよなく愛していました。ところがラザロが病気になってしまったのです。しかもそれはとても重い病気でした。そこですぐにマルタとマリヤはイエス様の所へ使いを送りました。イエス様はすぐに来て下さらず、とうとうラザロは死んでしまいました。マルタもマリヤも回りにいたユダヤ人たちも泣きました。しかし、イエス様は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光を受けるためです。」と語られ、ラザロをよみがえらせました。主の御心はラザロのいやしではなく、復活にあったのです。
 米国のロバート・シュラー牧師は、失敗者への教訓として次のように語っています。「失敗は、あなたがたが失敗者であることを意味しない。それが意味しているのは、あなたがまだ成功していなかったということである。失敗は、あなたが何も成し遂げなかったことを意味しない。それが意味しているのは、あなたが何かを学んだということである。失敗は、あなたが愚か者であったことを意味しない。それが意味しているのは、あなたは大きな信念をもっていたということである。失敗は、あなたが恥をかいたことを意味しない。それが意味しているのは、あなたが進んで試みたことである。」
 もしあなたが、「かって祈っていたけれど答えられなかった。もう時は過ぎてしまった。」そう思ってあきらめていることがあるなら、もう一度、主に目を向けて下さい。ラザロに対していやしでなく、復活を用意されていた主が、あなたにも復活の奇跡を見せて下さるからです。

(盛岡聖泉キリスト教会 会員)