同労者

キリスト教—信徒の志す—

証詞

— 仙台聖泉キリスト教会 森田初実 姉 —

 「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:4~5)

私は小学校3年の時に救われました。
 きっかけはこのようなことでした。家族とお墓まいりにいったとき、「お墓の中におじいさんとおばあさんがいる。」と両親に言われて、"死んだらどうなるのだろうか?"と思いました。そして「死」が怖くてしかたなくなりました。
 11月の特別伝道会のとき、よそから来られた先生が、「死ぬのが怖い人はいますか?」と説教中にたずねられました。私はすなおに手をあげました。
 集会後婦人伝道師の山本雅子先生に個人伝道を受けました。
 雅子先生は、「死ぬのが怖いのは、あなたが罪をもっているからなのだと思うよ。」と言われました。それで罪を赦していただくために、先生と一緒にお祈りをしました。「家にかえったら、両親と兄弟たちに悪かったことを謝りなさい。」と言われました。そのとき、"死後に明るいところにいけるのならそうしよう。"と思いました。冒頭の聖言、ヨハネの福音書15章4~5節の「あなたがた」を「初実」に置き換えて読みました。
 家に帰って、両親と兄弟たちに謝りました。するとそのとき「私は天国に行ける。」という安心がありました。
 小学校3年生という幼い時の救いの経験でした。それ故に、今日このような幸いを与えられている私があることを感謝しております。
 その後、小学校5、6年頃のことだったと思います。あまりよく覚えてはいないのですが、たしか教会学校で新約聖書を1年間かけて読もうということがありました。1年間で新約聖書を読み終えるとごほうびを頂くことができました。別にごほうびを欲しい訳ではなかったのですが、友達との会話の中で私は、聖書を読んでいないのに「読み終わるんだァ」とウソをついてしまいました。ウソを一度つくとその後もウソをつくようになってしまい、私は心の中で本当はいけないことだからいつかは謝らなくてはいけないと思っていました。そう思いながらも教会学校の先生にまでウソをついてしまい、1年間で新約聖書を読んだごほうびとして「リビングストン」という本を頂きました。周りのみんなからはほめられましたが、私は全然うれしい気持ちではありませんでした。自分でその理由は分っていましたが、怖くて誰にも話すことができずに、日にちは過ぎてゆきました。それからは、夜になるといけないことだと思い、一人で布団の中で「イエス様。ごめんなさい。」とお祈りをするのですが、なぜか次に日の夜になるとまた怖くなってしまい、一人でお祈りを始めるのです。やがて中学生、高校生となりました。高校を卒業する前後頃のことなのですが、ある集会で一人の姉妹がお証詞をしていました。その時に開かれた御言葉が、ローマ人への手紙10章10節でした。
 「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
 私はこの聖書のことばを聞いて、やはり私自身が口でその悪いことを告白しなければ私の罪は赦されないのだということが分かりました。すぐには告白することができずにいましたが、K.M.B.I.に行った時にも示されて、教会の先生にお手紙を書いて告白しました。一つの小さなウソによって、私は何年も苦しみ続けました。誰にも言えずにいた理由、すぐに謝ることができなかったその訳は、一度、私はイエス様に罪を告白して赦して頂いたはずなのに、また罪を犯してしまったということが、とてもとても怖くて言えなかったのです。けれども、イエス様はそんな私のことをまだ愛していて下さっていたことが、罪を告白した時によく分かりました。私はあらためて、自分が救われた時の御言葉を思い出しました。
 私には現在3人の息子がいます。子供たちの事を考えると、どうしたらいいのだろうと思ってしまいます。本当に神様に祈って知恵を頂かなければならないということを痛切に感じます。
 神様が私を一つ一つ導いて下さっていることをもう一度心から信じ、感謝して進ませて頂きます。

讃美歌467(昭和35年版)
  1. 思えば昔イエス君
    幼子を集め
    みもとに遊ばせ給いし
    そのときぞ恋しき

    来よ。と呼びましし君の
    みかお慕わしや
    我が身も御手に抱かれて
    かしらなでられたや

  2. 君は今もみ空にて
    子らを召し給う
    いでいでみもとに行かばや
    懐かしきみもとに

    救われし子らの家は
    御国に備わり
    多くの幼子つどいて
    君をほめたたう

 

(仙台聖泉キリスト教会員)