同労者

キリスト教—信徒の志す—

信仰良書

神への道 (88) —影を捕まえようとして—

D.L.ムーディー 著 山田 大 訳

 多くの人々が、誰からもそうしなさいと言われたわけではないのに、光や平安や喜びを追い求めています。もしキリストを心に受け入れるなら、それらすべてはひとりでにやって来ます。私は子どもの頃、よく自分の影を捕まえようとして徒労に終わっていました。ある日私が太陽の方向に歩いていた時、偶然振り返ってみると、影が私についてくるのに気づきました。私が速く歩くと影も速くついて来ます。あんなに追いかけても捕まえることが出来なかった影から、私は逃げ切ることが出来ませんでした。私たちが義の太陽の方向に向いている時、平安と喜びは確かについて来るのです。
 しばらく前、ある人が私に言いました「ムーディーさん。あなたは信仰生活にどんな感動がありますか」。私が自分の信仰上の感情について気にしていたのは随分昔のことだったので、答を出すためにしばらく立ち止まって考えなくてはなりませんでした。クリスチャンの中にはいつでも自分の感情にばかり気を取られている人々がいて、そういう人は感動が薄れると、喜びが去ってしまったと思うのです。もし私たちがキリストの方を向いており、心の首座を主に明け渡しているなら、私たちは、私たちの行く道にある闇や困難の外へ運び出されるのです。
 南北戦争が勃発した後の集会のことを思い出します。当時、戦いは6ヶ月も続いていました。北軍はブルランでの戦いで敗れており、実際私たちは敗北しか無い状況で、あたかも北軍は散り散りになったように見えました。それで私たちは落胆し、意気消沈していました。この集会でも、各説教者たちは話し方を忘れてしまったかのようで、それは私の経験した中で最も暗い集会の一つでした。
 最後にきれいな白髪頭の老人が立ち上がりました。彼の顔は本当に輝いていました。彼は「皆さん。あなた方は真の王の子達のように語っていませんね。たとえ今ここが暗闇でも、どこか他のところに光があることを思い出してください」と言い、たとえ世界中が暗闇になっても、天の王座には光があることを語り続けました。
(訳者:仙台聖泉キリスト教会 会員)

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