同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 神の御心を探る心 —

森田 心

 教会学校中学科の担当をさせて頂いています。生徒は男子3人女子3人で皆クリスチャン3世、4世の人たちです。そして2人の兄姉と3人でこのクラスの学びを進めています。時々生徒たちと聖書クイズをすることがあって、彼らは大人がびっくりするほど聖書をよく知っていて答えるので驚かされることがあります。ですからこのクラスの学びも事前にきちんと備えをしていかないと、ちょっと間違ったことを言うと「先生そうでしたっけ?」と言われたりすることもある程です。
 このクラスでは旧約聖書を2年間、新約聖書を1年間かけて学びをしています。ある学びの中で「イエス様がたとえで話をしたことで知っているのを言ってみて」と質問したところみんなの口から次から次へと出てきて、私の方も「あっそういえばそういうのもあったね」言うほど沢山出てきました。その中で「どうしてイエス様はたとえで弟子たちにお話になったんだろう?」と聞いてみました。それぞれが思うところを言って、どれも決して間違いではない答えでした。教師としての立場ならきちんとその意味と答えを教えてあげる必要があるでしょう。注解書などに目を通して“これはこういうことです。”と教えることの準備はしていきます。けれども時には答えよりももっと大切だと思うことがあります。山本嘉納牧師は「教会学校の学びの時間は、礼拝に備えて心を整えていくための大切な時間です。」と言われたことがあり、私はその言葉を心に留めさせていただきながら、彼らが成長と共に礼拝の説教に生きはじめる時に、今の学びが結びつき繋がっていけることを信じ生徒たちと取り組みをしています。
 ですから神の御心を探り求める心を大切にさせていただきながら、今すぐ答えを頭に入れてしまうよりも持ち続けていく学びをすることを願っています。時には中学生にはとても難しいかえあ話をしても解らないだろうと思えるようなことでも、神が彼らの成長の中にあって豊かに養い続けて下さっていること観させていただいている者として語っておく必要と大切さを憶えます。なお怠ることなく進ませていただきたく願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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