同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 病いと共に生きる —

石井 美枝子

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(コリント人への手紙第二 4:7)

 今年の5月13日、半年ぶりでエコー検査を受けた。主治医が画像を見ながら、「進んでいるかなー」とぽつり。素人目にも確かに肝臓の一部、隙間が、繊維化が始まっているのかなあ。
 10年前、たまたま受診した、娘の通院しているクリニックで血液検査をした。当時疲れており、肝臓の異常値6倍とかで、先生も心配され、更に検査をしてC型肝炎に感染していることが分かった。
 以来病院を転々として、肝臓の専門医を紹介され、現在も塩釜市立病院に定期的に通院、検査と薬中心に治療を続けています。 3年前にペグインターフェロン注射とリバビリンの併用療法を、入院を含めて48週、しかし注射終了後、1ヵ月でリバウンドしてウィルスが倍増した。「治療どきかなあ、都合のいい時、・・できるだけ若いうちがいいねえ。」「放っておくとどんどん生活のレベル(QOL)が下がって難儀になるね」
 私も先の入院等で、その大変さを間近で見て来た。C型肝炎は肝硬変から肝癌に進行し易く、癌もタケノコみたいで潰しても潰しても再発を繰り返す。「どうしようかなあ、血小板はともかく、白血球が少ないんだよね。注射しても白血球が副作用で減少するので、治療ストップするね。」元々血小板は少なく、退院後、白血球は低レベルで横ばい状態だった。「レベルで言えばどの位でしょうか」「F3位かな」肝硬変に限りなく近い。そのような中でも、先生は冗談を言ったり、得意の東北なまり(岩手出身)で和ませてくださる。「よし。その前に(注射)、おまじないをするかなあ」「僕の後輩で、国立病院機構にカテーテルのスペシャリストがいるから」「脾臓の動脈枝にカテーテルを入れて、塞栓して白血球の破壊を防ぐ・・」「白血球はどの位増えるんでしょうか」「やってみないと分からないねえ、増えることもあるし、変化ない場合もあるし・・」どうしよう。何度か、その後通院し、家族も「いいよ」と了解してくれ、8月12日に決意して治療の方向にお願いした。即、紹介状を書いて下さり、9月3日に国立病院機構、仙台医療センターの消化器科に入院、肝硬変も進行しないと症状は出ない、痛くも痒くもない、外見には空元気。
 カテーテル治療を受け、苦痛だったのは一晩だけで順調に回復した。偶然分かった病い、生涯この病いと向きあうことになった。しかし、神様を信じる生涯に変えられ、信仰生活も長きに及んだ。病いとどう向きあいながら生きて行くか、極めて現実的な現場を与えられた。
 入院生活は2週間に及んだ。入院生活は暇なようで、気が抜けない。起床後検査があれば、まず採血、検温、食事と、消灯まで規則的に1日が過ぎて行く。その合間を縫って、売店、読書、面会、洗濯やら入浴と・・。安静が解けて、退院後に備えてではありませんが、朝夕廊下ウォーク。前回の入院でウォークしたにもかかわらず、筋力が衰えた。私が注目したのは、食事で、『肝臓病食c160』・・1日1600kcal前後、薄味に慣れているので、3食とも完食、そしておやつをちょこっと・・・。C型肝炎に関しては低脂肪、低塩、低鉄食、・・おいしいものは鉄分が多いのですね。再度覚えさせて頂き、退院後、再現すべく・・難しいね。祈るような気持ちで血液検査、CTなどの治療結果を待った。脾動脈を20%塞栓したこと、術後の搾刺部からの出血、化膿等による発熱の心配もなく治療がきちんとなされたこと。「白血球は変化なく、今のところ横ばいですね、御期待に添えませんでした」と主治医に頭を下げられた。慎重に経過を見て下さったことを感謝しました。
 入院に際してまた退院時も牧師先生が祈って下さり、教会の方々の祈りと家族のサポート、毎日のようにおかずを運んで下さったと伺い、多くの方々の支えがあったことを身に沁みて有り難く思いました。この夏“駒”をひとつ進めさせて頂きました。神様は、どんな時にも“手を差し伸べて下さる方”と聖書の随所に記されております。神様の大いなる業を信じ又日々進歩する医療に期待しながら、尚次なるステップに委ねつつ進ませて頂きたく思います。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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