同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの復活>

先月の質問は、 イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活の結果何が生じたかを聖書によって述べて下さい。
でした。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.イエス・キリストの復活
5.4 イエス・キリストの復活の結果(つづき)

(7) イエス・キリストの生命によって信者は救われている。

「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ 5:9-10)
 註1:ここに記されている「命」とは、主キリストの模範を指すものではなくて、キリストの復活の結果である「生命」を指しています。(比較:「いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」(ヨハネ 14:19)
 註2:ここに語られている「救い」とは、明らかに罪の咎からの救い、すなわち赦罪と義認を指すものではありません。これについては、前節ですでに獲得されたものとしてかたられています。ですから、これは未来の救いすなわち「彼のいのちによて救われるであろう」ということを指しています。前節との対比から、この意味は「来たらんとする神の怒り」からの救いであることは明らかです。 復活の結果、キリストのいのちは、私たちに未来の救いを得させるのです。そしてこの命は、主のご再臨によって完全に顕れるものです。
「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。」(コロサイ 3:4)
「その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の──そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです──感嘆の的となられます。」(テサロニケII 1:9-10)

(8) 私たちは神の右に座し、絶えず私たちのためにとりなしをなしておられる永遠に生きている大祭司、イエス・キリストを、彼の復活によってもつことが出来るようになった。であるから、彼は私たちを完全に救うことがおできになる。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ 8:34)
「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル 7:24-25)
 救いはイエス・キリストの贖いの死によって始められ、キリストの復活ととりなしによて続けられています。私たちは、一度死んで罪の贖いをなされた救い主を持っているだけでなく、また甦り、その血を神ご自身が臨在されている至聖所に運び入れ、御前に供え、常に生きて私たちのもろもろの新しい失敗を弁護してくださる救い主を持っているのです。
「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。」(ヨハネI 2:1)
 ここに私たちの永久に不変の安心があります。キリストが私たちのために、私たちの内に成してくださったみ業の最後の成就についての確信があります。

<今月の質問>
イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活の結果何が生じたかを聖書によって述べて下さい。(つづきを)

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