同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 信仰書を読みましょう —

「あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。」(テモテII 4:13)

 上記のみことばは、パウロの最後の手紙といわれているテモテへの手紙第二の一節であって、パウロがテモテに書物を求めていることが分かります。パウロにとって大切なことが私たちにとって大切ではないなどということはないでしょう。よい書物を読むことは、旅をしたり、よい音楽や芸術にふれたりすることと同様に、人生を豊かなものとします。
 しかし、書物についていうなら、彼の時代と今の時代ではかなりの違いがあります。第一にその価格です。皮製品の値段をみれば、当時の書物の材料が皮であることだけでも、どれだけ高価なものであったか分かります。そして手書きでそれを作成したのですから、1冊の書物を記すだけでもどれだけの時間がかかったことでしょうか。時間はすべて値段に反映します。
 今の時代印刷素材と印刷技術が発達し、安価に書物が手にはいるようになりました。ありとあらゆるジャンルに関する書物が、世界中にあふれています。さらに、それは金儲けの手段となり、売れるということの故に役に立たないもの、有害なもの、つまり読まない方がよいものも多数出回っていることは論を待ちません。ですから、私たちは書物を読もうと思ったなら、その中から選んでよいものを読まなければなりません。
 私たちの信ずるキリスト教についても、書物があふれています。そしてその中に、信仰を豊かにしてくれるよい書物と、読まない方がよい書物とがあります。よい信仰書を選んで読むならば、集会出席や教会における活動とは違った部分での益を得られます。
 バンヤンの「天路歴程」を読んで見るとき、17世紀の著者の信仰経験が、今の私たちの信仰経験と全く変わらないことがわかります。愉快な比喩、象徴によって、信仰の機微を伝えてくれます。 ストーカーの「キリスト伝」を読むなら、キリストの歩まれた足跡、その悩み、その働きのすばらしさに目が開かれることでしょう。 アンドリュー・マーレーの「まことのぶどうの木」「絶えず祈りなさい」「祈りの学校」などを読むなら、祈りの深みに導かれることでしょう。 ハドソン・テーラーなど多数の宣教師たちの伝記は、私たちの心を燃やしてくれます。 パゼット・ウィルクスの「救霊の動力」を読むなら、福音経験は何であるかを悟らせてくれます。ジェファソンの「教会の建設」を読み、先生方と共に教会の建設者になれたら幸いです。
 そのようによい信仰書が数多くあります。殊に若い方々にそれを読んでいただきたいと思います。それは教会において訓練していただくことの助けとなるでしょう。

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