同労者

キリスト教—信徒の志す—

証詞

救いの証

茂永 和子

(2012.6.17付け仙台聖泉キリスト教会週報「信仰の目」欄から転載)

私は登米郡(現 登米市)豊里町に二人姉妹の二女として生まれ育ちました。ほどほどに田舎で良い環境の中でしたが、家庭環境といえば、一言では言えませんが父親は事業に失敗し、借金を残して家を出て行くという状況でした。それは今の私の娘くらいの時だったと思います。詳しいことは、母親からあまり聞かされていませんでしたが、ドラマに出てくるような一場面もありました。そのような中で、自分は道を踏みはずさないように真面目に生きて行かなければならないと思っていました。
 私がはじめて教会に行ったのは中学一年の時でした。隣の町、米山町に教会があり、母親の実家も米山町だったので、そこに行く途中、少し遠くに見える教会の建物を見ながら、いつか私も行ってみたいという憧れのようなものを持っていました。その教会の牧師先生をしていた大原先生は、中学校の教員もしていました。二つ上の姉が集会に誘われ、私もそこについて行ったのが最初でした。教会の方々は、とても暖かく迎えてくださり、何人かの中学生も誘われて同じように集まっていました。讃美をしたり、お祈りをしたりと、とても新鮮な思いで帰ってきました。その少し前に大原先生は奥様を亡くされて、教会の働きに専念していくということで、次の年に退職されましたので、その時に導かれたということは本当に幸いでした。コーヒータイムというお茶やお菓子が出ての集会が時々あったので、誘われては参加するようになり少しずつ聖書のことを知るようになりました。
 姉が高校二年生の時に洗礼を受け、私も信じて天国に行きたいという思いはありましたが、部活をしていたり、本当にクリスチャンになって、世の中と逆行するような歩みをしていけるのだろうかという不安もありなかなか決心できませんでした。
 時は過ぎ、高校三年生になり、伝道者の書12章1節の「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。」という聖言に焦る気持ちが与えられました。そのような時に、仙北リバイバルクルセードという伝道集会があり、讃美チーム、講師の先生が来られて行われました。そこでもう一度、神様がこの世界を創られ、私たち人間も創られたこと、聖い神様の前に人間は罪人であり、罪を持ったままでは天国へは行けないこと、その罪の身代わりに、イエス・キリスト様が十字架にかかり、死んで葬られ、また三日目によみがえられたことを聞き、自分ではどうすることもできないものでしたが、背中を押されるように二日目の夜、決心し前に出ることができました。そしてその年の11月14日に洗礼をさずけていただきました。
 その後、高校を卒業し仙台に就職し順調に行っている面もありましたが、そんな時、資格商法にひっかかり、被害を受けるということもありました。いつのまにか、クリスチャンはこうでなければならないというイメージの中に自分を縛りつけていましたので、親しい人には相談できず、最終的に相談したのは消費生活センターでした。後で姉に話をしたらひどく叱られましたが、私自身、弱さの裏側に野心もあり、自分で事を決めている傲慢さがありました。今振り返ってみると自分自身の不備や愚かさというものを思い知らされることですが、神様はそのような私を見放さず導いて下さいました。結婚が決まり、今に至りますが、それまでの自分の型というものを崩されたり、介入されるということには痛みもともないました。しかし、先生方のご指導のもと、兄姉との交わり、家族の支えがあってここまで来ることができました。年を追うごとに余計な肩の力が抜けて色々なことはあっても今が一番幸いと思えることを感謝しています。そして愛する者にも真の救いが与えられるように先に歩むものとして神様の導きに従って行きたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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