同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

真意をつかむ訓練

石井 和幸

「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだすものはまれです。」 マタイ7:13、14
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」 マタイ7:21

 私が勤めている会社は鉄工場です。私は営業と管理の仕事をしています。最近強く思うことは、『顧客の真意を捉える』ことの大切さです。営業マンにとって、自社の仕事内容、セールスポイントを明確にお客さんへプレゼンテーションすることは最も大切なことです。けれども、それ以前にお客さんのニーズ・・・一体お客さんは何を困っているのか、何を望んでいるのかをしっかり捉える大切さを痛感します。
 私の会社の得意先に、Kさんという人がいます。Kさんは小さなエンジニアリング会社の社長で、60歳をこえた、プラント工事、配管工事を営業するベテランです。毎日のように私たちの工場に来て、指示や打合せをしたり、工事現場では、監督として陣頭指揮をとっています。私も、Kさんと一緒に営業や、現場打合せに出かけるときがあります。Kさんは、仕事を受注することは大変上手ですが、せっかちな性格なため、言葉が足らないところがあり、誤解されやすい人であります。Kさんが何を言い出すか、どこでKさんに怒られるか、気が気でないのは一緒に仕事をする私たちの会社の職人や協力業者です。少し前の話になりますが、大きな工事物件をKさんの会社で受注し、工事を行いました。しかし残念ながら、その工事はトラブル続きで順調に進みませんでした。当然、Kさんと、一緒に仕事をした人たちに責任が問われます。協力業者や職人は、元請けやKさんからペナルティーを受けまいと、Kさんや私に様々な弁明をしました。ある日の夕方、私はKさんと、一緒に仕事をしたAさんについて話をしていました。Kさんは私にポツリと言いました。「オレはな、A君が一言、『ご迷惑かけて申し訳ありませんでした』と謝ってくれれば、それで十分だったんだ。事後処理なんて、オレにとってはどうでも良かった。」私はKさんに、「それは本音ですね?」と念を押しました。それがKさんの真意だと捉えたからです。Kさんはせっかちなために、発言や行動が都度変わるように見えますが、実は一貫した信念を持っていました。それは、仕事に対して、「誠意を尽くす」ことです。「指示が変わりやすい」という一面は、実は、お客さんや職人の表情、仕事に取り組む態度、話す声のトーンまでいちいち気にしているからなのです。Kさんは、仕事の具体的な内容以前に、人に対して礼を尽くしているか?仕事をするのに十分な士気、積極性があるか?ということを重要視します。
私もKさんの信念が分かり、真意をつかむまで、多くの時間を要しました。「なんでKさんと関わり、一緒に仕事をしなければならないのだろう?」と嫌気がさしたことも多々ありました。そんなとき、Kさんの自宅を訪問して、ご家族と関わりをもったことがありました。Kさんの真意を捉え続け、ともに生きているご家族の姿は、多くの言葉でKさんを説明すること以上に、説得力がありました。このことは、Kさんを理解する上で大変参考になった機会でありました。

 先日、私は某超教派団体の会議に参加するために上京しました。全国から20名ほどの代議員が集いました。会議室を借りている時間が決められていたため、会議が終わると、時間内に片付けを済ませ、会議室を出る必要がありました。しかし会議終了後、片付け、撤収の手伝いをした代議員は、20名のうちのほんの僅かな人たちでした。会議を主催する事務局のスタッフが、そのほんの僅かな人たちに感謝をしていたことは言うまでもありません。
 私も若いころは、空気が読めない、その場の雰囲気が読めない・・・私と関わりをもつ人の真意を読むことが出来ない人間でありました。牧師をはじめ、教会の先生方、先輩方に、真意を読んで行動することを愛をもって教えていただきました。年齢が上がれば上がるほど、自分の足りない部分を指摘してくださる方は少なくなってきます。けれども、それに甘んじて足りないところを疎かにしたり、自分の思いだけで突っ走っていくのではなく、謙って愛の教えの中に従っていくことが大切です。また、子どもたちにはしっかり、「相手の真意をつかむことの大切さ」を伝えなければなりません。神は、教会を通し、聖書を通し、人を通して私たちに「真意」を伝えようとしておられること。そのことがどういうことなのか、しっかり実感できるようにです。
 私の家族は8人です。生後10カ月になる息子も、最近は自分以外の人が何をしているか、見渡すようになりました。3歳の娘は、家族一人一人のものまねをする時があります。そして、毎日の生活パターン、自分が楽しい思いをした場所をよく覚えています。いよいよ、この家庭の変わらざる信念が何なのか、一貫性を持たせる必要を感じます。そして、関わる相手の真意をつかむ「勘」を養い、祈りつつ、神の最善を探りつづけることが出来るように、取り組んでいきたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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