同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 教会と共に生きる —

石井 ミワ

「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることのないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」(ヘブル人への手紙 13:17)

 この年、春の教会キャンプの分科会において、「私たちの愛する教会を見つめてみよう」をサブタイトルに、教会についての学びのときを持ちました。私はこの学びの担当をさせていただき、ジェファーソンの「教会の建設」を読みながら、今まで自分が辿ってきた道程、今教会の中でどう生きているのか、なすべきことは何かを見つめ直す時を持たせていただきました。その中で、「教会と共に生きる」ということ、とりわけ「指導者の先生方と共に生きる」ということを改めて覚えさせていただきました。
 私は、結婚して仙台聖泉キリスト教会に集うようになり、まだ5年の歳月ではありますが、この教会で先生方、先輩方、また若い方々と歩みを共にさせていただいていることを本当に感謝しています。結婚前の私は自分の生活をはじめ、仕事や教会の奉仕に対しても、ほぼ一匹狼で自分の判断で動いていました。御言葉を読み、信仰書を読み、そこに自分を照らして考えたりということはありましたが、先生方に相談したりということはほとんどなく、あっても祈祷会の中で表面的な問題だけを話す程度の者でありました。今思えば、先生方に対する態度の中にも不遜なものがあり、およそ牧会者に対する態度ではなかったなぁと思います。
 そんな私が、今の教会に集うようになり、最初に婦人伝道師から「私は何があってもあなたの味方でいますよ。ですから、何でも相談してくださいね。」と仰っていただいたこと、教会の先輩方に笑顔で受け入れていただいたこと、そのことをはじめとして、教会の中で共に生かさせていただいていることをとても嬉しく思いました。また、先生方にはとても細かいところにまでメスを入れていただき、私自身が「弱い」と感じていたところに、しっかりと光を当てていただけることが、本当に感謝です。自分自身、ご指摘いただいたことに取り組む中で変化があったことを感じます。
 一昨年のちょうどこの時期になりますが、帰省した折に、自らの不遜な態度について、母教会の先生方に謝ることができました。それは婦人伝道師の先生からお奨めをいただいたことで行ったことでしたが、お奨めをいただいた当初は謝ることに抵抗がありました。それを主人に話をしたところ、「納得いっていないのならば、先生に聞くべきではないか?納得いかずに、表面上でそのことをしても仕方ないでしょう?」といわれ、先生に素直にその気持ちを相談させていただきました。先生は私の言い分をよく聞いて理解してくださった上で「わかりました。しかし、牧師に対して不遜な態度であったことは良くないことです。その態度について謝ることは神にも喜ばれることだと思いますよ。」と語ってくださり、私はその言葉に励まされ、納得して頭を下げることができました。このことは私の「従う」ことに対する転機でもありました。母教会の先生方が私の変化をとても喜んで下さったことが思い起こされます。
 本当に多くの欠けがある者ですが、その都度わかるまで教え導いていただきながら、ここまでくることができました。先生方・先輩方と共に教会の中で歩ませていただいていることが本当に幸いだなぁと思います。主人は「『教会は苦労もあるが、そこに生きることは本当に幸いだ』と、父に教えられたんだ」と語ってくれたことがあります。私たちも子供たちにこの幸いを伝えていけるように、尚従って歩んでいきたいと思います。

 

 

大したことはない性質の事柄ーーー神の言の中で決して決定されない事柄を、行うか、または、しないままにしておくか、の選択の際に、彼の霊魂の牧師に従うことは凡ての個々のクリスチャンの義務である。

一つのことを確信せよ。あなたがたがあなた方の霊的指導者に良心的に従えば従うほど、神は彼ら「霊的指導者」が神の御名によってあなたがたの心に送る言葉を一層力強くあてはめ給うであろうことを。

ーーージェファーソン「教会の建設」より

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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