同労者

キリスト教—信徒の志す—

読者の広場 <お便り>

— ペンテコステを迎えて —

十文字 隆男

あしゅらむ会 2008年5月10日(土)
製作日 2008年5月10日(土)
お茶の水CLC4F国際ナビゲーター室より
聖書の箇所:新約聖書 ヨハネの福音書 第三章[John Chapter 3]
テーマ:『すべての人に必要な新生』"Unless a man cannot see the kingdom of God"

 本章は4つに区分されるべきものです。1節から8節までは『すべての人に必要な新生』、9節から21節までは『大いなる愛の賜物——受けるか拒むか』、22節から30節までは『ヨハネの大いなる謙遜』、31節から36節までは『信頼されるあかし』、以上の4つです。今回は1節から8節までの『すべての人に必要な新生』の箇所から、神の御霊によって生まれる新しいいのちの神秘さについて、もう一度確認させて頂ければと思っております。
 ニコデモがヨハネのバプテスマに賛成することにしりごみしていたことは明らかです。ニコデモはエルサレムでも金持ちのひとりでありました。また、イエスは彼を「教師」(ヨハネ3:10) (Israel's teacher) と呼んでおられます。ニコデモは、真理の組織や哲学の体系について語ることを喜んでおりました。しかし、イエスはニコデモにとって、なくてはならないもの(You must be born agein.) の必要性を感じとり、それを与えたく願われました。ニコデモの心は、拡大された、もっと満たされたいのちの経験に入らなければなりませんでした。
 一般に、当時のユダヤの人々は、「新生」(Be born agein) ということばを、いつも異邦人(Gentiles) に対して用いていました。けれど、ニコデモは、異邦人がユダヤ風に受け入れるために必要とした同じ変化 (same change) を、自分も必要であることをイエスに知らされて『驚きまどったのでした』。
 ここで、イエスは「水と御霊によって生まれなければ」(同3:5)(unless a man is born of water and Sprit,・・・) と言ってますが、「水」とは、ヨハネのバプテスマのことです。そのバプテスマに於いて、私達は、罪を告白し、過去を振り捨てて、より豊かな神のいのちの経験にはいりたいという願いを言い表したのです。神の御霊によって生み出された魂のいのちは、何と風のように神秘的なものでしょうか。私達は、このいのちが、「どこから来」(同3:8)たのか、「どこへ行くか」(同3:8)知り得ることができませんが、この「いのちの躍動」を見て、天の父を賛美せずにいられなくなります。御霊はだれでも、望む人のところに新しいいのちの種を持って来られます。そして、その開かれた窓からはいり、空いたところを満たすことを喜ばれます。
 では別の面から見たいと思います。『聖歌』の573番に『御霊はあめより』という、W.S.Marshall 先生の賛美歌があります。 Joys are flowing like a river. 喜びが河のようにわき上がり、流れている、いのちの状態のありさまを体験してできた賛美歌です。
 具体的に言います。私は、「水と御霊によって生まれ」(同3:5) ました。けれど、「聖霊がまだ・・(私の上に)下っておられ」(使徒 8:16 Acts: 8:16) ませんでした。「いやされ」同時に「聖霊が(私の上に)下った」体験は、最近のようです。私の場合は、です。
 新生は、救いの基礎です、と同時に、ある場合は、「主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかった」(使徒8:16)
こともありうるのです。私が十年もイエスを愛してきたとしても、その年数が私を聖霊に満たすのでもありません。私のヴィジョンの大きさや、賜物の質の深さも、私を聖霊に満たす要因にはならないのです。生まれ変わり、聖霊に満たされるということは、人のことばでは言い尽くせない神の奥義です。けれど、この変化は感じられ知ることができる奥義です。私の名前が変わるのではなく、性質が新しくなります。私は以前の私ではなく、キリスト・イエスにある新しい人となります。死体を洗い、それに衣服を着せることと、それをよみがえらせることとは全く異なることです。前者は、人のなし得ることですが、後者は、神のみが、イエスのみがなしうることです。
 生まれ変わらせて頂いただけでなく、私は満たされ、次のように賛美します。「おお、主イエス様。永遠の父なる神様。あなたの霊が、新しく聖い、霊的ないのちを吹き込んでくださらなかったならば、私は、今日まで『罪過と罪の中に死んでいた者』でした。私の新しいいのちは、すべてあなたからの賜物です。私の『新しいいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあります。』『もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられます。』」と。
 私の場合は、「水と御霊によって生まれた」(同 3:5)ことと「いやされ、且つ、聖霊が、・・(私の上に)下っ」(使徒 8:15) たこととは、別のことでした。私自身は、いつも注意深く、私に問わなければなりません。「生まれ変わり」の御霊の働きから、いつも「心の満たし」という御霊の働きへと、私は押し出されなければならないと。
 このシートを、愛してくれている長谷川与志充先生、松村カズオさん、池川トヨさん、悦夫お父さん、潤さん、千さん、東京ミレニアム・チャ-チのケイちゃん、ミキさん、ヒロさん、ケンちゃん、原ひろ子さんとマリナさん、大和カルヴァリ・チャーチの滝川さんご夫妻、広山さんご夫妻、山崎さんご夫妻に愛をこめて捧げます。

(東京ミレニアムチャーチ 会員)

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