同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 鈴木健一兄への手紙 —

石井 行雄

 鈴木さん、突然「同労者」の誌面をお借りして、お手紙を差し上げることをお許しください。鈴木さんの短歌を読ませていただいて、いつも当時のことなどを思い返しておりました。
 私どもの教会の教会学校成人科では、月末の日曜日には、「同労者」をテキストに、輪番で司会をして学びをしています。そんなことから、鈴木さんの短歌を話題にし、今年の3月30日の教会学校成人科で、私は鈴木さんとNHK鈴木健二アナウンサーと似ているところが多い(名前、出身大学、体型、ヘアスタイル、性格、など)こと、今から27年前、仙台聖泉教会の会堂建築中の仮集会所で、16年振りにお会いした時、私が信仰に歩んでいることを知って喜んでくださったこと、その時「あんなできの悪い、態度の悪いのが・・・」と鈴木さんは思ったことだろうなどと話しました。
 その夜の伝道会に、野澤さんから鈴木さんの手紙(野澤さんに宛てたもの)を渡されました。その中に、私が中学生の頃、教会学校で突然椅子の上に立ち上がって、忍者のまねをしたので、二人で押さえつけて、鈴木さんが聖書の話をしたこともありました。私は「これで朝話した態度の悪い生徒だったことが証明された」と野澤さんに言いました。その手紙にはスキンシップだったと私に気を使ってくださっていましたが、当時私はキリスト教がきらいで教会学校にいるのがいやなので、忍者のまねをしたのでした。
 私のその後のことをお話しておこうと思います。
 当時、鈴木さんや教会の人たちの温かさを感じてはいたのですが、自由に楽しくしている学校の友達を見て(このことは表面的であることは後で分かりましたが)自分がみじめになり、数少ないクリスチャン家庭に生まれたことを何度も恨めしく思いました。
 そればかりかクリスチャンの家庭に育ったとは思えないほど罪の中にいたのです。心と生活は荒れ、中学3年の時は日頃の思うようにならないうっぷんを晴らすために、スリルを求めて、藤崎デパートや高山書店などで、学校の先生に注意されるまで10回以上も万引きをしました。最初は心臓がドキドキしましたが、成功した時は天下を取ったような気分でした。気持ちが大きくなり、自分なんかどうなってもいいと思いました。次第にドキドキもしなくなり、テクニックが身に付いて、終わり頃はお金を払うのがばからしくなるほど良心が麻痺してしまいました。そして広瀬川のそばの鈴木さんの下宿(自然が仙台で一番美しい所)に通って勉強を教わったにもかかわらず、出来の悪い私は受験に失敗し、どん底の中学浪人を味わうことになったのです。
 そのまま悪の道へ転げ落ちるか、きわどい時だったと思いますが、今考えてみると、この頃から神様は良い方向に私を導いて下さったような気がします。環境が変り、一人になって反省しました。教会には行ってなかったので、御言葉によって立ち上がるというようなことはなかったのですが、少しずつ物事を前向きに考えるようになったのです。例えば、予備校の卒業式に先生が「この一年間は無駄ではなく、貴重な体験になる」と話したのを聞いて、「なんでこんな浪人なんてやるんだ」と思っていた心が明るくなったのを覚えています。
 その後、教会の前で自転車に乗った鈴木さんが「入った(合格した)んだってな」と私に声を掛けてくださったのが、鈴木さんが大宮に帰られお別れする前の最後の出来事だったと思います。
 高校ではクラブ活動の人間関係に悩んだり、後ろの席の友達が白血病で亡くなり「どうして自分が生きて、友達が死んだのだろう」などと考えました。考えても分からないのですが、自分の生き方を考え、大切にするようになったと思います。
 再び教会に行き始めたのは3年の8月からで、洗礼を12月に受けました。
 大学に入る頃から、「私が生まれ育ったキリスト教、それは他の宗教、思想や生き方に勝るものだろうか」という思いが心の中にあり、求め始めました。2年位教会に通っているうちに、キリスト教の中心にある「イエス・キリストの十字架の贖いと愛」のすばらしさがよく解るようになりました。小さいときから聞いてはいたのですが、その意味と価値と奥深さが解らなかったのです。自分の罪は明白です。「昔はひどかったけど、今は並の人間だ」などと考えたりしましたが、罪の思いは消えず、心に安らぎがきませんでした。ある集会で、盗んだ品物を示され、店に返しにいったり、恵みの座があった時に何度か救われたいと思ったのですが、罪の大きさにためらいました。しかし、家業の鉄工所に勤めて一年後、ついに悔い改めて救われました。品行方正の優等生が救われるのでしたら、私はあてはまらないのですが、「私は正しい者を招くためでなはく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ 9:13)の御言葉は私のためにあります。また思い出す限り盗んだ店に行って謝罪し、救いを確かなものにしました。
 それから35年が経ち、私も今年60歳になります。去年の7月、94歳の母を天に送りました。小さい頃、教育熱心であった母の期待に応えられなかった私は、母と折り合いが悪く、衝突していました。救われて、私は罪の故に母を悲しませたことをあやまり、和解しました。母は、戦争の貧しさの中を生き抜いた、苦労の多い生涯でしたが、神様を讃美しながら笑顔で天に帰って行きました。
 自分ことばかり書いてしまいましたが、いつもすばらしい短歌をありがとうございます。42~45年前の大学生の鈴木さんのイメージを思い浮かべながら読ませていただいています。「同労者」を通してよいお交わりをさせていただきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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