同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 幸いな取り組み —

森田 心

「だが今、ヤコブよ、あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ、あなたを形造った方、主はこう仰せられる。『恐れるな、わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。』」
(イザヤ書 43:1)

 今年も小中学生の教会学校の生徒たちと聖書劇を伝道の働きのために行いました。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと続けてきたシリーズの劇も今回でさいごの場面になり、ヤコブの4番目の息子ユダに焦点をあて劇を作りました。今回に限らずいつも、脚本の内容は礼拝のメッセージで語られてきたことが中心にあってそれを生徒と取り組んできました。ですから、内容は彼らには難しく理解することも大変なところもあったでしょうが、今回は「保証」という言葉を大切に作らさせていただきました。
 主役となったユダ役の4年生の姉妹は渡された脚本を最初に見たとき最後に語る自らのセリフに「ぜったいこんなに長いの無理・・」と言って叫んでいました。脚本はその人の力量を察しながら、それに応じた長さに作っているわけでなく、私たちが教えられていること、示されたことを正しく捕らえて形造っていくことをいつも思って書いています。特に今回は私も劇の始まりから生徒たちとセリフを覚えていくところから一緒になって練習を重ねてきました。だんだんと完成に近づいた頃私は最後の長いセリフを語る姉妹のことが気になり、もう少し短いセリフに作り変えようと思いました。大切な言葉をそこに残しながら縮めることが出来ると思ったからです。理由は姉妹に問題があったわけではありません。一緒に彼らとやっていくうちに私も小さなころからクリスマス祝会などで劇をやってきましたが、いつも本番になると緊張して失敗してしまい上手に出来なかったことが思い出されました。なので、姉妹の努力してきたことが報われて喜んで終わることが出来たらと思い総責任者である尽子婦人伝道師に言いました。しかし、帰ってきた返事は「大丈夫です。今ままで通りで・・」でした。
 本番は聖日の午後の伝道会でした。その本番の3日前の祈祷会のとき、集会が終わるとユダ役の姉妹が私のところに来て「心先生聞いて・・・・・。」と言って劇の最後のセリフを言いはじめました。最後までひとつの言葉も間違わずに語りました。姉妹は出来るようになった嬉しさで聞かせたかったのでしょうか?理由は聞きませんでしたが私には“心先生心配しなくても大丈夫だから・・・”と言われた気持ちでした。もちろん本番でも沢山の人たちの前で見事に演じました。生徒たちの友達、父兄の方たちが来てくださいました。その人たちにはどう伝わったか分かりませんが、生徒たちの賛美と主の真実を表す劇は神様にも教会に共に生きる兄弟姉妹にも喜びとなるすばらしいものであったと信じます。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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