聖書研究
— 万人祭司・万人予言者・万人王(第30回) —
野澤 睦雄
2. 旧約における三つの職務の考察(つづき)
2.2 預言者(つづき)
- エゼキエル
イザヤ、エレミヤに並んで、エゼキエルが注目に値する預言者であることは言うまでもありません。
記されている書の感触には、イザヤ書は父なる神を感じさせ、エレミヤ書は子なる神イエスを感じさせ、エゼキエル書は聖霊なる神を感じさせるものがあります。しかし、興味深いことに、神はエゼキエルを、イエスがご自分を指して言われた「人の子」(エゼキエル書2:1他多数)という名で、頻繁に呼んでおられます。第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。彼はエレミヤと同じく祭司の出でした。
(エゼキエル書 1:1〜3)
彼の働いた時代は、エレミヤが期待した善王であったヨシヤの孫、エホヤキンの時からで、ユダの一部がバビロンに連れて行かれた時でした。エホヤキンの後、彼の叔父であるヨシヤの子ゼデキヤが王であった時に、国は完全に滅ぶことになります。
神は彼を預言者に任命し、ユダだけでなくイスラエルの家に派遣されますが、その前にご自分の姿をお見せになりました。私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。その中に何か四つの生きもののようなものが現れ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。その翼の下から人間の手が四方に出ていた。そして、その四つのものの顔と翼は次のようであった。彼らの翼は互いに連なり、彼らが進むときには向きを変えず、おのおの正面に向かってまっすぐ進んだ。彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。まず見せられたのは、神ご自身ではなく、神が載られるケルビムの姿でした。ここでエゼキエルが見たケルビムの四つの顔は、四福音書の姿が同じに例えられています。マタイの福音書は獅子すなわち王に、マルコの福音書は牛すなわち僕に、ルカの福音書は人に、ヨハネの福音書は鷲すなわち神に例えられるのです。
(エゼキエル書 1:4〜10)
エゼキエルが見た神の姿は、後にヨハネがパトモス島で見た姿と似ています。彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下のほうに、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。
(エゼキエル書 1:26〜28)それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」(黙示 1:13〜16)エゼキエルは、次に神のことばを食べさせられました。「人の子よ。わたしがあなたに語ることを聞け。反逆の家のようにあなたは逆らってはならない。あなたの口を大きく開いて、わたしがあなたに与えるものを食べよ。」そこで私が見ると、なんと、私のほうに手が伸ばされていて、その中に一つの巻き物があった。それが私の前で広げられると、その表にも裏にも字が書いてあって、哀歌と、嘆きと、悲しみとがそれに書いてあった。その方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」そこで、私が口をあけると、その方は私にその巻き物を食べさせ、そして仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」そこで、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。同様にヨハネも神のことばをたべさせられました。それは口に蜜のように甘いが腹にはいると苦くなるものでした。
(エゼキエル書 2:8〜3:3)
それから、前に私が天から聞いた声が、また私に話しかけて言った。「さあ行って、海と地との上に立っている御使いの手にある、開かれた巻き物を受け取りなさい。」 それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。神を見ること、神のことばを食することにつづく、エゼキエルへの神のお取り扱いは、イスラエルの家の罪をお見せになることでした。
(黙示 10:8〜10)その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」それから、この方は私を庭の入口に連れて行った。私が見ると、壁に一つの穴があった。この方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。」私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。この方は私に仰せられた。「入って行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。また、イスラエルの家の七十人の長老が、その前に立っており、その中にはシャファンの子ヤアザヌヤも立っていて、彼らはみなその手に香炉を持ち、その香の濃い雲が立ち上っていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行っていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた』と言っている。」さらに、私に仰せられた。「あなたはなおまた、彼らが行っている大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。これを見たであろうが、あなたはなおまた、これよりも大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」そして、この方は私を主の宮の内庭に連れて行った。すると、主の宮の本堂の入口の玄関と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、彼らは主の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌みきらうべきことをするのは、ささいなことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。だから、わたしも憤って事を行う。わたしは惜しまず、あわれまない。彼らがわたしの耳に大声で叫んでも、わたしは彼らの言うことを聞かない。神は預言者にイスラエルの現実を示し、彼らから主の栄光が離れるけれども、神はご自身のねたみをもって、それを回復される姿を示されるのです。
(エゼキエル書 8:5〜18)(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)