同労者

キリスト教—信徒の志す—

読者の広場 <お便り>

— 東京ミレニアム・チャーチ・アシュラム会に臨んで —

十文字 隆男

製作日 2008年7月18日(金)
お茶の水CLC4F国際ナビゲーター室より
聖書の箇所:新約聖書 ルカの福音書 第11章[Luke Chapter 11]
テーマ:『聖霊のバプテスマと聖霊の満たしの相違』[The Difference of the Holy Sprit's baptizing and Being filled with the Sprit]

 本書は、5つに区分されます。1節から4節までは『私たちの最善の祈り』、5節から13節までは『根気強い祈りの勧め』、14節から26節までは『敵か味方か』、27節から32節は『ヨナのしるし』、33節から44節は『内側の暗さと汚れ』、45節から54節までは『善者の心を探ることば』以上の6つです。
 ルカの福音書の11章の中で特筆すべきことは、マタイの福音書7:11[MATTEW 7:11]の併行聖句の中で、明らかにされることなのですが、天の父であられる方が『良いもの』[good gift]として、キリスト者に与えたく願われているものが何であるか、ルカの福音書11章では更に具体的に示されているということです。それは『聖霊』[The Holy Spirit]であるということです。
 ルカの福音書11:13は、私の心に刻みつけられている暗唱聖句です。「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
 では、この『聖霊』ということばを、別のことばで言い表している聖句はないでしょうか。あります。ピリピ4:19[PHILIPPIANS 4:19]「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」ここで言われている「あなた方の必要」[your needs]。そう、一番私自身に必要なものは、神の視点から見えるようにされていく時、わかってくる事柄なのですが、富でも、キリスト者としての名誉や地位や、あるいは、極端に言えば、伝道や宣教の才能でも、方法でもないということです。それは『聖霊』ご自身なのです。
 「キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富」[his glorious richies in Christ Jesus]をもって満たされるべき唯一のものは、『聖霊』[The Holy Spirit]であり、更に発展させた形で言えば、『聖霊の満たし』[Being filld with the Sprit]なのです。
 『聖歌』にはないのですが、『インマヌエル讃美歌』の328番にJ.E.French先生の『人の知らぬ喜びを』という讃美歌があります。[This is like heaven to me](I-PETER 1:8)。御霊に満たされて、疑い迷いが取り去られ、賛美が心の中にふつふつと湧くきおこり、このような状態は天国にいるような喜びに満たされている状態と同質のものなのです、ということを証ししている讃美歌なのです。  さて、『聖霊のバプテスマ』の代表的でき事を聖書の中に求めるとしますならば、使徒の働き二章[ACTS 2]のでき事が一番わかり易いできごとでしょう。(2:3) 炎のような舌が[seemed to be tongues of fire]現れて、ひとりひとりの上にとどまった[came to rest]。
 クリスチャンライフを進めさせて頂く時、みなさんはこの『聖霊のバプテスマ』のでき事と、『聖霊に満たされる』こととどう違うか、お考えになられたことがおありでしょうか。少なくとも私は、このことについて深く考えさせられる時が何度もありました。直感的にこの二つを明確に区別していくことは、私にとって、とても大切なことであると思わされました。

(聖霊のバプテスマに与るための必須の要件として、罪を悔い改めて十字架の贖いに与り、新生の命を受けることが挙げられます。新生と共に聖霊は悔い改めて信じた信者のうちに住んで下さいます(ローマ 8:9 などを参照)。これを「聖霊の内住」といいます。「聖霊の内住」と「聖霊に満たされた状態」とは区別されなければなりません。「聖霊のバプテスマ」は「聖霊に満たされた状態」に生きるための入り口です。信者は聖霊のバプテスマを受けて聖霊に満たされ、聖霊に満たされた信仰生活を送ることができます。新生の恵みに与り、聖霊が内住してくださっていないと聖霊のバプテスマを受けることができません。・・編集委員 註)

 聖書はステパノ、バルナバ、パウロらを『聖霊に満たされた人』と記しています。
 では、どのようにすれば聖霊に満たされるのか、という質問がきます。ここでは、私たちは受け身の考えをすべて捨てなければならない、ということです。それを決心するのはあなたや私の力によるということです。具体的に言うと、私たちは聖霊が私たちの内におられるのを<常に>認識しなければならないということです。それを保証する御言は、Ⅰコリント6:19[I CORINTHIANS 6:19] 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、・・」[your body is a temple of the Holy Spirit,]という御言です。
 聖霊に支配され続ける道は、彼(聖霊)はともにいてくださる「慈悲深い好意的な主」であり、内に宿っていてくださるお方だということをいつも覚えて一日を始めることなのです。
 ハ・ヨンジョ(Ha Yong Jo)先生の『使徒の働きの教会をめざして』(Duranno出版)の「聖霊が働かれる教会」の中で、「聖霊を受けた教会は、朝早くから聖霊を考え、賛美する時も聖霊を考え、牧師が説教する時にも聖霊を考えるのである。」とのべられております。私自身、あわれみによって心静めて、いつも「聖霊に満たされて」歩ませて頂けたら、どんなに幸いなことかと思わされております。
 このシートを、いつも愛をもって接してくださっている長谷川先生、松村千正(かずまさ)兄、池田豊吉兄、石川先生、石黒お父さん、高橋さんご夫妻、ミレニアム・チャーチの猪爪姉、床枝姉、立川兄、土屋兄(司会者)、原ひろ子さんとマリナさん、大和カルヴァリ・チャペルの大川先生ご夫妻、滝川さまご夫妻、広山さまご夫妻、山崎さんご夫妻、そして韓国の「父の学校」の奉仕者凡てに、愛をこめて捧げさせていただきます。

(東京ミレニアムチャーチ 会員)

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