同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 私の信仰 —

茂永 進

 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。(コリント人への手紙第二 5:7)

  5月は私の誕生月で、37歳になりました。良き伴侶を与えていただきクリスチャン家庭を営み、小さかった娘も今年小学校へ入学しました。大いなる恵みを与えていただいていることを感謝すると共に30代もいよいよ後半を迎え、自分の信仰を本気で確立していかなければならないことを示されています。
 私は長い期間、日々の忙しさを理由にして神様とのデボーションの時間をおろそかにしてきました。その故に日常の生活の中に行き詰まりを多く抱えるようになっていきました。まず祈ることが出来ません。神様とのコミュニケーションが取れない自分がいました。ずるずると時が経過していき、教会での諸集会に参加する態度も非常に消極的になっていました。家庭でも家長として一番霊性を保っていなければならない立場を失っていたように思います。
 しかし、私のある祈りの課題のことで先生方に祈っていただき、その道が開かれたことがきっかけで今一つの転機が与えられています。毎朝、デボーションの時間を持つことが出来るようになっています。神様への祈りと聖書通読を再開しました。日々積み重ねていく中に、礼拝や諸集会で神様からの応答が与えられていることを感じています。最近の礼拝のメッセージで「与えられている子供に、本気で信仰を教えなければならない時に自分の信仰が確立していなかったなら信仰を継承していくことは出来ない」と語られていたことに非常な畏れを覚えました。私の信仰とは?本当に未だ途上です。
「私の信仰はこれだ。あなたにもこの信仰をもって神様と共に歩んでほしい」と自信を持って子供に伝えられる者として間に合う者でありたい。
「今頃気づいたのか。遅いじゃないか。」と思われる方もいらっしゃるかも知れません。スロースターターの自分ではありますが真摯に取り組んでいきたいと思います。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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