同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 従順の学び —

山田 行

キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び・・・
(ヘブル人への手紙 5:7〜8)

 梅雨もあけいよいよ暑い夏がはじまりました。教会の祈りの中に、お年を召した方々や、病の中で戦っている方々のためにこの暑い夏を無事に過ごすことが出来ますようにと皆で声を出して何度も祈られております。
 健康でまだ若い者たちでさえ、本当に身体が弱ってくると心も魂も強くあり続けることは困難であります。また逆に心と魂が悩みの中にあると身体までも具合が悪くなってしまうということもあります。そのような時こそ神は隣人を与えて支え励まし孤独の戦いではない幸いを教えてくださいます。愛する全ての人々に暑い日々神の豊かな哀れみをひたすら祈ります。
 この月は、上記の御言葉が与えられました。日本人は学ぶことが好きな、得意な人種であると聞いたことがあります。私たちの生活の中にもカルチャーセンターでの習い事や有名な先生の講義などあると高いお金を出しても聴きに行ったり学んでみたいと思うものであります。子供たちもみんな塾へ行く時代になっているようです。
 しかし聖書のこの従順を学ぶためには苦しみを経験しなくてはいけないということに私の心は捉えられました。「苦しみを教えます」ということを知って私たちはあえてその学びに入りたいと思うでしょうか?もちろんNO!です。しかし御子であられるのにキリストは多くの苦しみによって従順を学ぶということをされたことに驚きで心がいっぱいになりました。
 真の従順は神に近づくための最も大切なものですが、それは苦しみを一つ一つ乗り越えて神と共に生きる時のみ学べるものなのでしょう。私はこの御言葉を心に留めながら今の苦しみ悲しみは従順の学びのために与えられたことを信じて歩もうと励まされました。
 何一つ私たちの思いや力で動くものはありません。本当にしみじみと歳を重ねると人間の限界があることを思い知らされます。神の哀れみと導き、そして豊かな愛によりすがることしかないと思うのです。神を信じない人たちにすれば、なんてみじめで弱い依存心が強い人間に見られるかもしれませんが、神と共に生きること、真の従順を知っていきる幸いは本当の力であり強さになることを私は信じています。また、同じ苦しみの中にいる人たちのことも共に祈ることが出来るようになります。その人たちの悲しみが、涙の祈りが「アーメン」(そのとうりです)となってきます。感謝です。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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