同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

我が家のおもてなし報告
— 同労者との研鑽 —

石井 和幸

私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。
(ピレモンへの手紙7)

謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
(エペソ人への手紙4:2〜3)

 7月のとある日曜の夜、教会での集会を終えてから家内が、「スーパーへ買い物に連れて行ってほしい」と言いました。私「いいよ。どこにいけばいい?・・サンマリ?マックスバリュー?それともヤマザワ?(注:自宅から近い順)」家内「SEIYUなんだけど・・・(注:近所ではあるが入るのが面倒で私が行きたくなかったスーパー)」私「なんでだよ」家内「だって、お肉の量り売りやってるから」「こんな時間帯に肉の量り売りやってると思う?」と私はブツブツ言いつつ、そんな自分を反省しつつSEIYUにいきました。 実は次の日の夕方、同じ教会で、信仰の同労者であるS兄姉ご一家をお招きして、我が家で夕食を共にし交わりの時をもつことになっており、その下準備のためにスーパーへ向かったのでした。
 今年一月、新婚間もない私達夫婦を、S兄姉は家庭に招いて下さいました。S兄は私より3年上で、子供の頃から教会でずっと信仰生活を共にしてきました。私に結婚が与えられるようにと、とても一生懸命ご夫婦で祈りつづけて下さいました。共に新しい家庭が与えられたことを感謝する時をと、招いてくださったのだと思います。「先輩夫婦がどのようなおもてなしをして、どういう家庭の雰囲気なのか、しっかり勉強してきなさいよ」・・・婦人伝道師の先生にそう言われつつ、招かれた私達は心のこもった温かいおもてなしを受けました。そして、兄姉方とゆっくり教会のこと、信仰生活のことについて、互いの祈りの課題について分かち合う時が与えられました。それは、共にキリストの教会の器官として、どうあるべきかを確認しあう作業でした。主牧先生が語られるメッセ-ジの意味、そして私達の世代に神は何を望まれているのか、それを捉え続け、共に教会の建設に加わっていくことは自分達にとってどういうことなのか?
・・・最近なかなか時間をとってS兄とゆっくり話すということがなかった私にとって、とても幸いな時でした。
それで、「下半期の始めにでも、今度はぜひ我が家にいらして下さい」と、お招きしたのです。
 お招きした日は「海の日」の夜でした。午前中の所用を済ませ、午後から家内は料理と茶菓の準備、私は少し昼寝をしてから部屋の片付け、掃除です。いざ始めようとするとトイレの洗剤が切れていて、お風呂の洗剤で代用も出来ず、買物に出向きました。家内からの買物追加リクエストにイラっとしながらも、午前中出向いた所に忘れ物をした事を思い出し、(人のこと言えないな・・・)と思いつつ車を走らせました。帰ってきて掃除を済ませると突然の来客です。(S兄姉との約束時間をずらそうかな)・・・とも考えましたが、(それは失礼なことで、あってはならない)と言い聞かせ、頭の中でタイムキープをしながら、家内に負担がいかないように応対しました。そして約束の時間。 兄姉と、小学一年生のYさんをお迎えし、手製のケーキ等、心のこもったお土産と花束を頂き、大変嬉しく思いました。
ご一家と夕食を共にし、幸いな交わりの時を持つことが出来ました。何とか、おもてなしの方も、準備した物に対しては喜んで頂けたのではないかと思いました。ただ、反省点もありました。 ・・・前回、お邪魔した時に比べて、深い話とまではいかなかったように思いました。全体的にちょっと遠慮があったのかもしれません。家内も、子育てについて伺おうと思っていた話題を出さずに終えてしまったことを反省していました。また、子供さんにパズルの絵本を渡しながらも、書いて遊ぶための鉛筆を用意していなかったこと、部屋のカーテンが半分開けっ放しだったこと等・・・
 また、この夕食会について、もっと早い段階で(音楽に例えると、曲の前奏が終わりそうな時ではなく、音を鳴らす前に)牧師先生方の耳に入れるべきだったことも反省点でした。
 私はこの7月、東京に出張し展示会の説明員という仕事に携わりました。私はそこで刺激をうけたことは、共にそこで働く先輩、同僚の姿です。私が勤務する営業所では、上司が不在となると、大抵同僚の口から上司への文句が出てきます。上司への反骨心を利用して奮起、結束を深める場合もあるのですが、特にかわり映えなく日々の業務が過ぎていきます。しかし展示会の場合は、短期間で多くの顧客におもてなしとPRをする必要があるため、説明員同士の結束と迅速な協力が求められるのです。自らの実力を知り、足りないところがあれば他の先輩、仲間のヘルプを求めます。その場で提案があったり、開場時間ギリギリまで一緒に勉強したりもします。そして、大阪の顧客なら大阪支店からの説明員にバトンタッチ、といったように臨機応変に動きます。ともかく、任務を果たす為に、お互いが励まし合い、研鑽しあって、そして足や腰が痛く固まってしまうような辛い中でも、達成感を共有することが出来るのです。
信仰生活も、ひとりよがりではなく、信仰の同労者と研鑽しあい、祈りあい、なお共に生きつづけることが大切だと思いました。仕事においてはまず自らの糧を得るためにと頑張るのですが、信仰者は愛する魂のために、労苦し、神に栄光を帰していくのです。私達の家庭にも主が豊かな導きと、共に歩んで下さる信仰の同労者を備えてくださっていることを感謝しつつ、私達も愛する同労者のために祈り続けていく思いを新たにし、7月を締めくくろうと思います。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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