同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 役者が素敵に見える時 —

 世には芸能なるジャンルがある。テレビ、インターネット、携帯電話、雑誌、新聞等々を介して否応なしに押し寄せるのであるからたまにはそんな話題も悪くはなかろう。本タイトルに当てはまる人物は多数あるが、その中から数例取り上げよう。
 平野綾、最近よく目にし耳に入るようになった。若冠23才にして、11年のキャリヤを持つ声優である。つまり12才、中学1年からプロなのである。声優といってもアテレコではなくアニメが主であるが、その出演作品の多さにはきっと驚くであろう。彼女が歌ったアニメの主題歌がヒットし、最近の紹介欄には、歌手、声優と載せられるようになった。雑誌の表紙を飾り、グラビア写真集が売れているらしい。つまり美貌の持ち主である。“天は二物を与えず”なぞというが、さしずめ才色兼備といったところか。才は別に大学の学問でなくてもよかろう。来年はミュージカル「罪と罰」で舞台に立つという。ミュージカルといえばレ・ミゼラブルで売れた白血病で亡くなった本田美奈子をこえられるか?今は見る人を楽しませるが、ヘプバーンのように年が上がってもステキを保てるかはそうなってみなければわからない。
 普段目に留まらなかった俳優が、ある作品でおお素敵!と思うことがある。
 佐藤浩市、「釣り馬鹿日誌」の社長「すーさん」役の三國連太郎の息子である。疾(とう)昔に“親の七光り”も不要になった歴(れっき)とした俳優であったが、前述のごとく気になる存在ではなかった。しかし映画「敦煌」で彼を見た時、男心にもおお素敵!!と感じたのである。
 役所広司、この人物も気になる存在ではなかったが、「Shall we ダンス?」を見たとき素敵!と感じた。この映画は、欧米でも売れ、リチャード・ギア主演でリメイク版が作られるほどであった。
 内野聖陽(まさあき)、NHK大河ドラマ風林火山の山本勘助役で皆さんもご存じであろう。脱線であるが、俳優には作品中の人物のイメージがついてまわる。悪役の子供たちは、お前の父ちゃんは悪いヤツだと周りの子供たちからいじめられるそうな。大人でもそういう感覚はある。たまたま見ていた内野聖陽は恋愛ドラマなぞでなよなよとした男の役をしていたため、そんな感じでこの人を見ていた。すると山本勘助で男の中の男を演じて見せた。あらためて俳優の能力を知った次第である。
 ジェファーソンの「イエスの品性」のイエスの真実の章を読まれたであろうか。そこにこうある。「舞台の上では、彼ら(役者)が真にどんな人物であるか誰にも分からないことを当然としている。しかしこの世の偉大な舞台では、神はすべての人々に彼らがそう見える通りの人物であることを要求される。」「役者の素敵」は、本人はもとより監督、演出家たちが結集して創り出すのである。しかし、「私たち自身の素敵」は神と人との前に真に素敵であることを求められること肝に銘じておこう。

Valid XHTML 1.0 Strict