同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 神の目 —

山田 行

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
イザヤ43:4

 私が最近困っていることは、目が見えにくくなってきたことです。目だけは良く見えるというのが私の自慢だったのですが、ここにきて急に老眼?がはじまってきたのです。見えにくいとは本当に不便で、本を読むのも、裁縫をするのも、細かい作業もとても好きなのですが、段々とおっくうになってきますし、自信がなくなってきます。いよいよめがねを用意しなくてはいけないようです。
 上記のみ言葉にある「神の目」何を見てくださっているのでしょうか? 私のような罪深い、誰と何を比べても劣っている自分に自信を何度もなくしていた若い時に神はこの御言葉を投げかけてくださいました。こんな私を高価で尊い、そして愛していると。何度も神の愛(それは親の愛であったり教会の方々の愛の行為)を、馬鹿にしたり、さげすんだり、無視した私に、神は「お前など勝手にすればよい」と捨てられたのではなく最後までこの言葉を投げかけ続けてくださったのです。そしてほとほと行き詰った私を救いの道へと導いてくださいました。
 神の目がみておられる高価なもの、大切にしているもの、私も同じように見ているでしょうか? この世の富や名声、目に映る多くの人が幸いというものに同じように幸いを求めていないでしょうか? 自分自身だけに留まらずそれを自らの子供に求めてないでしょうか?勉強が出来て良い学校へ行き、良い仕事についてもらいたい?自分が思うように子供が出来ないとイライラしたり嘆いたり、思いどうりに行けば、喜んだで感謝、感謝と言ったり。
 神は私のような罪深いどうしようもない者をそのまま受け入れて愛して下さいました。何の条件もなく、「この罪深いものを哀れんでください」と叫んだ時に、その罪を赦し、哀れんで神の子供にして下さいました。人が何と自分を評価しようが、自分で自分をダメな人間と思っていても神の目は私を大切な存在として愛してくださったのです。
 私もそのように自分の子供たちを見つめていきたいと思いました。そして自分の思いどうりに子供を導くのでなく神の価値観の中で、最後まで神の愛を伝え続けていきたいと思います。それが神が私に与えてくださった使命だと信じています。子供の罪深さに涙する時や嘆く時も「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と告白し続けたいと思います。
 老眼で私の目は見えにくくなってきましたが、神の目に少しでも近づけていただいて、そちらの方は、はっきりと見えるようになっていきたいと願います。
 この一年も多くの方々に祈っていただき、支えていただいて同労者の御用を守られたことを心より感謝いたします。ありがとうございました。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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