同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの再臨>

先月の質問は、
 イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。
でした。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

6.イエス・キリストの再臨の時期(つづき)

(2) イエス・キリストの再臨は、このように弟子たちさえ知らない間に行われるのである。忠実で賢い僕たちさえ気づかぬ間に取り去られる。しかし彼らは神のみこころをなしつつあるとき再臨を迎えるのである。
「だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」(マタイ 24:44)
 註:この句に関するトーレイの解釈は、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。」(I テサロニケ 4:16)と述べているパウロの見解との整合を考える必要があるでしょう。この句の示しているのは「知らない間に」ではなく、「その時が来るまで知らない」の意味です。

(3) 人の子イエス・キリストが顕れ給うとき、此の世の人々は日常の職業と飲食に熱中しているのである。
「人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。(ルカ 17:26-30)

(4) 主の日は、かの「不法の者」の出現後までは到来しない。
「霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」(II テサロニケ 2:2-4)
 「主の日」とは勿論、「イエスの地上再臨」の時を指します。これはイエス・キリストが花嫁である教会をみ許に迎えるために空中においでになった後に起こることです。
 ここで注意しなければならないことは、イエスがご自身の聖徒たちのために空中まで来られる時と、更に彼が聖徒たちを率いて地上に再臨される時との中間の時代があることを示すものは何一つ書かれていないことです。しかしそのような中間時代があるのであろうと思われる暗示が見られます。
 その理由は
 第一に、キリストがこの世を裁くためにこの世に来られる以前に、ご自身の民に対してなさなければならないことが少なくないということ、
 第二に不法の人の出現を阻止しようとする一つの制圧力ともいうべきものが現に存在しているということが明らかに教えられていること
 です。(II テサロニケ 2:6-7 参照)
 そしてこの制圧力というものが、教会に対して、何かをなすということは当然考えてよいことです。
 
 

<今月の質問>

イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。(つづきを)

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