同労者

キリスト教—信徒の志す—

人物伝

- 山本岩次郎牧師の思い出(14)-

秋山 光雄

第2部  荒川教会週報抜粋集(つづき)

【1962(昭和37)年3月4日】消息欄

 25日第4聖日、48と58で106。今月はじめての100を越えた礼拝であった。流感の影響から解放された事を示す慈雨の配給の為感謝である。近頃男子席にも二世が父親の側で礼拝に加わりつつあるを見る事は誠に喜ばしい事で交読の時などはっきりそれが判り家族礼拝の美しさが表れて幸ひである。父母が家庭にあっても敬虔な生活を子女の前に為し続けて居れば当然表れてくる現象である。要は宗教生活が単なる気分や観念でなく現実に適ったものでなければならない。聖言の前に愈々心し光を与えられ愈々充実した基督者生活の実践を心がけねばならない。無形の祝福が与えられて居る事を、それは経算以上の世界である事を十分憶えねばならない。

【1962(昭和37)年4月29日】消息欄

 22日第4聖日復活日 此日の教会学校は教師達の努力と全体の協力が結実したか8日が30、15日が27と云った処であったが此日は一躍57になった感謝である。宣教100年と云われても現状では何と云ってもジャングルの中に種を蒔く様な感じの日本伝道凡てが開拓者魂でやらねばならない。互いが与えられた時代に対して奉仕をさして頂たいものである。会員の家庭でも子女を送る事は勿論であるが周囲の子女の友達を誘ふ事、小さい時から子女達にも教会え人を誘ふ事を憶えしめる事を教え込むなら幸ひと思います。その為何かの智慧を働かす事である。ついで乍ら教会学校に子供らを送って家事の事をやって居るのだから礼拝の時間には間に合う様に出席することである。子供が親待ちで居りその為にさわぐ事もある事を親は特に母は忘れない幼稚園にでも託した様な気持でなく此時間は礼拝が始まって居るのだと云う事を気にして行動して頂き度い。礼拝男54女60で114通常では第4聖日なのだが節期を憶えて出席された事と思ふ大いなる感謝である。

【1962(昭和37)年10月21日】消息欄

 祈祷会。一寸少数の感があった、礼拝等で聞いて居る神の言が自らの中に消化されるのは祈祷会であることを夢忘れてはならない。「ただ聞くのみにて行わない」類の信者にならない様にならねばならない。此夜は伝道師の入信満24年のお祝ひの為に或兄姉よりパールの胸飾りが贈られた貧しい生涯が身に付いて居る彼に思ひがけないプレゼントに本人は目を白黒生る中に斯るお取扱ひに対し神に感謝し奉仕えの一段の奨励を受けた様だった主牧にもパール付のネクタイピン誠とに恐れ入った夜であった。

【1962(昭和37)年12月30日】消息欄

 23日クリスマス礼拝を守らして頂いた男60女70で130勿論本年最高であった洗礼式男2女5で7で受洗者は集会人数の上昇の面から見ると十分とは云えなかったが本年も5月8名で15名と云う処変わらず成長しつつあるは大いなる感謝  写真も130の人を写す事は容易ではなかったが前日の予行があった為に易かった 佐々木二男兄姉の第一子「光恵」の献児式もありクリスマス礼拝に相応したもので感謝に溢れたものであった。
伝道会は21日から特伝第一夜は88第二夜は90挙手8で此第三夜は107で挙手7であった。年末で何かとざわめいて居る時ではあったが又今年も空しく暮れたかと考えつつある魂にはよき伝道の機会でもあったと思ふ。よき空気の為に説教者も秘密は何処にと尋ねられた。土の夕は食事を差上げ喜んで頂き又心ばかりのプレゼントもさして頂いた。
クリスマス祝会24日223名(昨年は190)子供の親たちや関係者が多数集はれて一時をもたれた事は大いなる感謝であった。 青年会、ベタニヤ会も之を通じてよき交わりの時であり又教会の働きに参加の時を与えられ幸ひであった。
 年末感謝会26日41と40で81。34、5名の方が制止をされるまで証しの時を持った事は聖名に栄光を献げるのみである。

 (以下次号)

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