同労者

キリスト教—信徒の志す—

読者の広場 <お便り>

— 東京ミレニアム・チャーチ・終戦を考える月に臨んで —

十文字 隆男

製作日 2008年8月4日(月)
お茶の水CLC4F国際ナビゲーター室より
聖書の箇所:新約聖書 ヤコブの手紙 第4章[JAMES Chapter 4]
テーマ:『何が原因で、戦争や争いがあるのか?』[What causes fights and quarrels among us?]

 今年も、うだるような夏の暑さの中、広島、長崎の原爆のことに心を傾けています。あの1945年の8月6日、8月9日の広島原爆投下、長崎原爆投下の地獄のようなでき事は、今、2008年に生かされている私にとって、どういう意味をもつのか、また、これからどんな意味をもっていくのか、深く考える時を頂きました。
 繰り返し繰り返し、ヤコブの4章1~2節の御言が私の心に湧き上がっています。1節「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」[What causes fights and quarrels among you? Don't they come from your desires that battle within you?]
2節「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。」[You want something but don't get it. You kill and covet, but you cannot have what you want. You quarrel and fight.]
ヤコブ4章1節で、私自身 [国、人間自身] の戦う原因はどこにあるのか、聖書は明りょうに語っています。それは「体の中の戦う欲望」[desire that battle within you.] から来ているのであると。
 私はこのシートをつくるにあたり、聖書以外に4冊の本を読まして頂きました。
1冊目は三浦綾子さんの「銃口(下)」、2冊目は岩波文庫の「日本戦没学生の手記 きけわだつみのこえ」、3冊目はいのちのことば社の「日本宣教と天皇制」、4冊目は同じくいのちのことば社の「昭和館物語」、以上の4冊です。
 「銃口(下)」と「きけわだつみのこえ」は、三浦綾子東京読書会の時、課題となったものなので、すらすら読めました。後の2冊は、途中まで読んでいたものですが、焦点をあてて、読ましていただきました。
 三浦綾子さんの出版物の中で、「銃口」は特にそのカバー絵が、他の三浦綾子さんの出版物のそれと大きく異なっています。カバー装画は、小磯良平氏作「斉唱」というタイトルの油彩画からとられています。私は兵庫県近代美術館に電話をして、その絵のモチーフと昭和16年の「治安維持法違反」と、どういう関係があるのか尋ねたことがあります。その時、わかったのは、小磯良平氏は敬虔なクリスチャンであったということです。「銃口(下)」の中には、「影」というタイトルの中に、次のようなことばがあります。「竜太は改めて、人間が人間を疑うことの恐ろしさをつくづくと感じた。自分の未来に待っているのは、人的資源と呼ばれる消耗品の如き兵隊の姿であった。」戦争とは、ひとことで言うと「人間が人間を疑うこと」と三浦綾子さんは言っています。
 「きけわだつみのこえ」は、その手記の一ページ、一ページ、涙なしでは読み進むことのできない内容のものです。感想のところで、渡辺一夫氏は次のように語ります。「人間を追いつめるような、特に若い人々を追いつめるようなことは、一切、人間社会から除き去らねばならぬことを沁み沁み(しみじみ)と感する。相手に銃をつきつけたら相手も銃をこちらにつきつけるであろう。これは追いつめられた状態の最も単純な例であろうが、こうした単純な例から抹殺してゆかなければならない。『私は合法性への迷信を持つものではないが、暴力は人間としての弱さであると思う』というジャン・ジョレースの言葉を思い出すが、この弱さ、この恥ずべき弱さを、人間に強いるのが戦争であり、一切の暴力運動である。」と。
 読書会の時、長谷川与志充先生は、次のようにおっしゃいました。「三浦綾子さんの本は、各国に翻訳されているが、この「きけわだつみのこえ」は果たして各国に翻訳されているのでしょうか?この本こそ、まさに翻訳されるべきものです。」と。私も同じことを思いました。
 「日本宣教と天皇制」は、21世紀ブックレットのシリーズの1冊で、とても読み易いものでした。その中で、「美濃ミッション事件をめぐって」と題した石黒イサク先生の所を中心にして読みました。なぜなら、今は天にいる私の愛する妻真理子さんとそのお父さん、石黒悦夫お父さん(健在)は、美濃ミッションの教会員だからです。
 よく私の愛する妻、真理子さんは「ワイドナー事件」について、私に何度も何度も信仰の宝もののようにして、教えて、語ってくれました。「ワイドナー事件」とは、国の強制神社参拝に対して、美濃(大垣市)に、基督教幼稚園を経営した宣教師ワイドナー夫人の3人の児童たちが、自分たちの意志で、「それは偶像礼拝だよね。」と言って、参拝を欠席したことが発端で、広がっていった事件で、とても有名になった事件です。この時、ホーリネス監督の中田重治先生たちが、美濃ミッションに激励、援助、指導を与えてくださいました。当時、カトリックは靖国神社参拝を完全に認め、国家神道と完全に妥協することになっていました。そういう中で、美濃ミッションの信者たちは、伊勢神宮参拝を完全に拒否したのです。そのため、美濃ミッション排斥運動が次々と進められていきました。ワイドナー宣教師は決然と立ち上がり、文部省を訪れたりして、意見交換をしていきました。
 石黒イサク先生は(愛する妻のいとこにあたります)、こう結論付けをしておられます。「韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどに侵略戦争などのことについては謝罪し、悔い改めをしている教派は数多くみられるが、なぜ、その教派が偶像礼拝、天皇制との妥協などの点では、悔い改めをしないのであろうか。」と。
 「昭和館ものがたり」では、「昭和館」という館の存在そのものが、新聞に厳しく批判されている部分があります。「まず、名前がおかしいですね。『昭和』という時代全体をみる展示ではない。しかも、戦争資料館でも平和祈念館でもない。意味不明です。他国を侵略しておきながら、自国の戦中、戦後の自分たちだけの国民生活の苦しみを強調しています。日本政府が本気で子々孫々に戦争の悲惨さを伝えたいなら、中国、韓国、東南アジアから資料を集めて、アジア資料館をつくるべきでしょう。そうしたことが明日へのかけ橋になると思います。」と。

 このシートをかけがえのない二人の息子、信悟と司、また私をこよなく愛してくださっている長谷川与志充先生ご夫妻、松村千正(かずまさ)兄、池川豊吉兄、石黒悦夫お父さん、石川栄一ご夫妻、高橋俊潤千花宣教師、ミレニアム・チャーチの猪爪姉、床枝姉、土屋兄、(大熊兄、大西さん)、原ひろ子さんとマリナさん、大和カルヴァリチャペルの大川従道先生ご夫妻、滝山博行先生ご夫妻、広山国臣ご夫妻、山崎洋一ご夫妻、小泉金次郎ご夫妻、そして韓国の「父の学校」の奉仕者凡てに、愛をこめて捧げさせていただきます。

(東京ミレニアムチャーチ 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict