同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 祈りを教えて下さい —

野澤 睦雄

 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。『主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。』(ルカの福音書 11:1)

  私がまだ青年であった時のことですが、故山本岩次郎先生は私たちの教会の山本光明先生のお父さんでしたので、しばしば私たちの教会においでになりました。
 先生がおいでの時、私たちが集まって、教会でラーメンをご馳走していただいたことがありました。話題はいろいろでしたがその中で献身して牧師になる人が減り、無牧の教会が増えていることが取り上げられました。
 岩次郎先生は、一緒にいた石井矗兄をつかまえて、「石井君。どこそこの教会に牧師がいないから、君、行ってくれ、と、言われたら、仕事をたたんで行くんだよ。」と言われました。当時私の父が岩手県の奥中山で教会を開いており、いつか私が行って手伝いたいと思っていましたので、石井兄がそう言われたことを羨ましく思いました。
 そのとき岩次郎先生は、私の思いを察知されたのかどうかは分かりませんが、私にこう仰いました。「教会の働きはね。多方面あるんだよ。祈りの器が欲しいね。ブラザー・ローレンスのように、神の臨在の中を歩んでいる、祈りに卓越した器がね。」とそれを私に当てはめて言われました。
 長い間伝道者をつとめた方には、福音の働きについて、この人はどういう事ができる人物か、察知する力があると思います。世の普通の仕事には、人それぞれ向き不向きというものがあって、不向きの仕事をしていると一応勤め上げることができても、その仕事に優れることはできません。福音の働きでも、やはり適材適所があると思います。イエス・キリストは、直弟子を漁師から選び、収税人から選び、政治活動家である熱心党員から選ばれましたが、ご自分の事業を彼らに委ねることができると、彼らの素質を見抜かれてのことであったでしょう。
 さて振り返って、私に山本岩次郎先生が期待して下さったことに、どれだけ応えられたかを考えると、「約束の地に入ったばかりの様です」と言わざるをえません。必要なものは信仰です、執拗に求めなさい、失望せずに祈りなさい、とみことばは知っています。しかし、神は絶えず私の近くにいて下さり、聖書には神が祈りを聞いて下さるお約束に満ちているにもかかわらず「まだ聞き届けていただいていない祈り」が何とたくさんあることでしょう。

「主よ。あなたのみこころとみことばに私をお渡しします。どうか私に祈りを教えて下さい。」

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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