同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

召され、遣わされたところで

石井 和幸

また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。 外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。
(テサロニケ人への手紙第一 4:11〜12)

 8月は色々なイベントがありました。私達の教会でも、子供達のお泊まり会、合宿、野球の紅白戦、川遊び等、楽しい企画がありました。私が家内に『身重なんだし、なにも無理する必要ないんだよ』と言うと、『(行事に)参加しないなんて、そんな勿体ないことできるわけないじゃない! 』と言うほど、家内も教会での夏のプログラムを楽しみにしておりました。
 7月末のこと、私のところにある食品工場から電話がかかってきました。・・・巷で言う『お盆休み』期間中に機器のメンテナンス工事をしてほしい、お盆くらいしか工場がストップしないから何とかしてほしいと。いつも工事を担当している課長に相談すると、『石井君がいつも顔見せしてる客先だし、任せたから。』の一言。予定が詰まっていた私の夏休みに『仕事』が入ることが確定的になりました。 第一回目の打ち合わせで、工期は8月16日から18日にしてほしいと言われました。17日は礼拝。そして夫婦で楽しみにして、備えていた教会行事がある日でした。
(一年に2、3度あるかないかの休日工事が、こんな日に当たるなんて・・・)私は、工期が変更になれば・・と祈りつつも、今回、仕事を優先させなければならないことを示されました。同時に、自分がどれだけ教会に対し思い入れがあったのか、気付かされました。
 客先との2回目の打ち合わせで、工期が13日から15日へと変更になりました。祈りが聞き入れられ、教会での働きが守られた代わりに、友達や知人と会う予定を減らすことになりました。また、最初だけ工事に立ち会って、あとは下請け、職人に任せるということも出来ましたが、結局、初日と最終日を立ち会ってみて、私がそこにいて正解だったという結果になったのです。
 15日の仕事終了後、家内の実家である山形へ向かいました。家内の母教会の牧師ご夫妻にご挨拶して、先生方からつのる話を伺った後、家内の実家に着きました。私は結婚後初めて、そこに泊まることになっていました。
 山形の教会にお邪魔して、また家内の実家に一晩泊まって私は、家内が召されたところ、ルーツを知ることができました。例えば、家内が使うあの言葉は義母がいつも家庭で使っている言葉なのか・・・というようにです。
 そして、今、身重になっている家内の背中や腰をさすって、共に生きるのはこの私なのだということを改めて強く思いました。家庭の主人としての召し、夫として、糧を得るものとして。そして、キリストの教会の器官としての召し。
人事ではなく、自分のこととして祈り、遣わされたところに生き続けるときに、神は道を開いてくださるのです。
 9月25日は私がイエス・キリストによって救われた記念日です。今年で20年になります。中学三年生の時、もっと出来のいい人間に生まれてくれば良かった・・・と自分の弱さに嘆いた自分に、神は救いを与え、価値あるものとして下さいました。それから10年後、結婚を願いつつも、今結婚してもお嫁さんはきっと逃げてしまうだろう・・・と思っていた自分に、神はそれから9年の歳月をかけて豊かに関わって下さいました。そして20年たった今、私は家庭を与えられ、子供が与えられようとしています。神の前にへり下り、自分はどこから召され、どこに遣わされているのか。愛する者とともに問い続け、歩み続けていきたいと思っております。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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