同労者

キリスト教—信徒の志す—

人物伝

- 山本岩次郎牧師の思い出(6) -

秋山 光雄

第1部  私の見聞きした思い出集(つづき)

山本岩次郎牧師に関わるエピソード(つづき)
▲信徒の社会教育

 荒川教会の信徒は、下町の労働者が多かった。(失礼を許して頂ければ)彼らは庶民の中でも最底辺に生きる人たちだった。岩次郎は、そのような信徒を社会勉強を身に付けさせるためによく高級(?)な食事店やホテルなどに連れていった。彼らはお金や機会はあっても臆病が先立って、そのような所へ足を踏み出せなかったのである。或る時の事、ホテルで入浴した某兄弟は驚いて言った「やっぱりホテルはすごいなあ。風呂にまで電話がある。」彼が電話と思ったのはシャワーだったのだ。岩次郎には霊的なことばかりでなく社会人としての指導も牧会の中に入っていたようだ。

▲物事に対するセンス

 岩次郎はファッションセンスといい、食事マナーといい、宝飾類の目利きといい、書画の目といい、垢抜けした知識を持っていた。どうして、そのような知識が身に付いたかと言えば、何でも臆せず恥ずかしがらず店員に聞いたり、尋ねたりする天衣無縫さにあったようだ。銀座の高級店であろうが、一流のホテルであろうが気軽に入って行ける自由さが知識の蓄積になったのであった。この幼子の単純さが岩次郎の世界を広げていたのだと思うのである。

▲聖日の備え

 聖日前の土曜日は、牧師の備え日として家族は緊張を強いられたとのことである。大きな声や嬌声はもちろん、廊下を歩くにもスリッパの音を立てないように注意された。朝食も家族とは別に書斎で取っていた。あたかも行者が滝に打たれ身を浄めるように、礼拝の御用に当たる時は人を避け、家族といえども遠ざけ、主の前に静まって、心の備えをされたのであった。

▲健康維持

 健康維持のため冬の早朝、トレ-ニングスタイルに身を固め白の短靴を履き、よく上野公園まで約3キロの道を歩いて行く姿を献身者時代によく見掛けた。近くの荒川公園のラジオ体操にも出掛け、顔見知りになった人たちと気軽に話す姿も、良く見掛けたことである。健康に良いと聞けば朝ごとにたくさんの水を飲み、私たちにも勧めていたことも思い出す。私なども勧めに従っていっぱい水を飲んだが、或る時など思わず逆流してガバッと吐き出したこともあった。

▲国鉄(現JR東日本)三河島駅事故時の救護活動

 1962年5月3日の夜11時半に起きた国鉄戦後5大事故といわれる三河島電車脱線事故(死者160名、負傷者300名)は、荒川教会真上の常磐線で起きた。その時、慌てふためく乗客、やじ馬の中で獅子奮迅、大声を上げて救護活動に当たった人たちの一人が岩次郎であった。沈着冷静、機敏な判断の岩次郎の活動が想像される。その功績を称えて国鉄から感謝状が贈られたと聞いている。

▲「教会の建設」の出版

 ジェファーソンの「教会の建設」と題する本が荒川教会から出版された。この名著は「教会の建設」を牧師使命とした岩次郎の執念にも似た願いで出されたものであるが、同時に願いを同じくした荒川教会創立の貢献者、油井武志兄の意志「三河島に教会を」の具現化として出されたものであった。

▲説教集「期待されたピレモン」の出版

 また岩次郎にとって記念塔の一つに「期待されたピレモン」と題する説教集の出版がある。10回に亘るピレモン書の礼拝説教である。この出版には私も少しお手伝いをさせて頂いた。すなわちテープからの説教起こし作業でテープレコーダーを少しずつ回しながらの筆記作業で今にして思えば、楽しくも懐かしい思い出である。その原稿は堀川勇牧師によって編集されて出版されたのである。

▲座談会「信徒が求める牧師像」

 出版ではないけれども、1974年1月1日のキリスト新聞の2面全部に亘って、武藤富男氏の司会による「信徒が求める牧師像」に12名の座談会が掲載されている。その中の一人が岩次郎であった。
因に、そのメンバーを記述すると次の通りである。
 佐藤瑞彦(学校法人トヨタ学園理事、同内丸学園理事、盛岡幼稚園園長)
 武井厚(第三製薬株式会社社長、日本クリスチャン信徒連盟会長、同盟基督信徒会長)
 鈴木留蔵(丸留建設株式会社社長、アジアキリスト教福音信徒連盟会長、
      日本キリスト教福音徒連盟会長)
 蕨康三(全国朝祷会連合会長、日本キリスト教団信徒会総務)
 山本貞吉(スタンダード建築金物株式会社会長、旅館ホテルコンサルタント、新仕舞劇研究会長)
 正木良一(日本キリスト教団会堂融資組合理事長)
 菊田澄江(ナオミ洋裁店社長、ナオミの会理事長、ナオミ保育園理事長)
 大塚野百合(恵泉女学園短大教授、青山学院大学理工学部講師)
 岩永愛子(日本基督改革派上福岡教会員、上福岡市議会議員)
 杉山健一郎(イエス友会中央委員、JLM理事)
 車田秋次(日本ホーリネス教団名誉総理、東京中央教会牧師、東京聖書学院名誉院長)
 山本岩次郎(聖泉基督教会連合顧問、荒川教会牧師)
 司会=武藤富男(キリスト新聞社会長、明治学院院長、NCC文書事業部理事長、聖泉女学院理事長、
         明治学院東村山高校長)
 当時、どうして、このような第一線級の人たちの中に山本牧師が招かれたのか、それは武藤富男氏の呼び掛けだったようである。

 (第一部 完)

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