同労者

キリスト教—信徒の志す—

読者の広場 <短歌>

— 横浜海岸教会(三) —

鈴木 健一

 以下は親切な係のご婦人の説明です。
 1872年、まだキリシタン禁教の高札が立っていた頃、9人の日本の若者がここで、宣教師バラから洗礼を受けました。その内、植村正久は富士見町教会を設立して、当時の教会の中心的な人物となりました。井深梶之助はヘボンに次いで明治学院の院長となっています。明治の始めに横浜の海岸の小さな石の教会堂で行われた洗礼式は、クリスチャンとなりキリスト教学校の教師となった私と無関係ではなかったのです。
 恐ろしいことも起こりました。九人の受洗者の中の一人は浄土真宗の僧侶であり、政府の大隈重信から遣わされたスパイでした。全てが報告され、今でもその資料は早稲田大学に残されているそうです。そして皮肉ですが、そのような資料があるため、私たちは初期のクリスチャンの姿がわかるのです。

禁教下の 居留地の塾
日の本の 若きら
聖書を むさぼり読みき

侍の子 九人が受洗
キリシタン 禁教の高札
立つ明治五年

詐(いつわ)りて 受洗せし間者 関信三は
真宗の僧か
維新の狂気

暮れなづむ 駅にて別る
雑踏の 友の髪と背
五十有余年
(インマヌエル大宮キリスト教会 会員)

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