同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第52回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)

 旧約聖書からの学びを終えて、新約聖書に歩をすすめることに致しましょう。
 祭司、預言者、王の三つの職務は、新約の時代にはどうなったのでしょうか。その点について、旧約聖書からの学びのなかでもかなり触れてきましたので、多くを語る必要がないかもしれませんが、整理し直し、学びを深めるのがよいと思います。

 旧約のこの三つの職務がイエスの職務を表していることは論を待ちません。
 旧約の王国は、この世の王国でした。しかし、新約においては、イエスは説教の中でこう言われました。
「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(マタイ 12:28)
イエスがそう話された時、この世の国家の体制は何一つ変わっていませんでした。
さらに、ピラトの前でイエスはこう宣言しておられます。
「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ 18:36)
イエスは、民衆を見て、「ふかくあわれまれ」(マタイ 14:14)ましたが、慈善活動などこの世の救済方法でなにかをしようとはされませんでした。
 繰り返し述べていますが、イエスご自身が、十字架の贖いによってもたらされた神の国の祭司であり、預言者であり、王であられます。
 イエスは「あなたはキリストか?」という大祭司カヤパの問いに対して、こう回答されました。
「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ 26:64)
「あなたは王なのか?」というピラトの問いに対してこう答えられました。
「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」(ヨハネ 18:37)
ヘブル人への手紙の記者は、こう記しています。
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(ヘブル 1:1)
これは、イエスこそ、旧約の預言職を新約の預言者として受け継がれた方であるといっているのです。
 またおなじく、ヘブル人への手紙の記者は、こう記します。
「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」(ヘブル 5:8-10)
旧約の祭司職は、イエスによって新約の祭司職として受け継がれました。
 このように、イエスは、祭司であられ預言者であられ王であられますが、「わたしの国はこの世のものではありません」と言われました。しかし、今の世と無関係であって、今の世に働きをしないのではありません。
 旧約の神の民はイスラエルでした。新約の神の民は「教会」です。教会にイエスの王国があるのです。この世に対するイエスの働きは、イエスの体である教会を通してなされます。教会には、この世から集められた人々がおり、整えられてイエスの体としての働きをします。今の時代においては、イエスの神の国の働きは、教会に集められた人、聖霊に満たされた人を介してなされるのです。神が特別な理由で直接働かれるかもしれないという例外を除外するものではありませんが、イエスご自身が直接働かれたり、天使を遣わして働かせたりすることを通常のこととして期待すべきではありません。
 私たちは「イエスの体」として、お互いの間と、教会の外のこの世の人々に対して、祭司、預言者、王として働きをするのです。そのような職位につかせられることを、限りない栄誉であると高く値づもり、謙遜と畏れをもってその職に当たらせていただかなければなりません。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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