同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 辞書をひく —

 人生、赤子のときは知らないことしかない。すべてが学習である。幼児では、まだほとんどのことを知らない。それゆえ親やおじいさんおばあさんを質問攻めにする。子供と呼ばれる年齢となっても、まだまだ知らないことがいっぱいである。勉強するのは学校だけではない。その行く先々いたるところで勉強をしている。知らなかったことは何でも分かろうとする。青年と呼ばれる年齢でもまだまだ知らないことが多いがそろそろ知ろうとするか否かより分け始める。しかしまだまだそれまで知らなかった新しいことを取り入れることができる。成人とよばれる段階になると、関心が先である。もう関心のないことは門前払いし、知ろうとはしなくなる。老人になると知らなかったことを新たに知ろうとする領域が極めてせまくなる。以上は新しい知識を受けいれることに関するおおまかな人間像である。個人差があることはいうまでもないことではあるが。
 幼児、子供にとって知ることは快楽であるが、老人にとっては努力を要する仕事みたいなものらしい。それゆえ、新しいことを知ることに対する心の快楽度-苦痛度は心の年齢の指標になりそうな気がする。いわば心の若さを計る秤である。
 さて、皆さんは知らない漢字に遭遇したとき、辞書をひく習慣をお持ちであろうか。辞書をひくことが身に付いていると、漢字に辟易(へきえき)したりしないのである。見慣れぬ漢字も「へえーっ。○○○と読んで△△△という意味か」と面白く思う対象に変化する。
 今はあらゆることが調べやすくなった。殊にパソコンでインターネットを使えるなら、その速さは驚くばかり。ありとあらゆることがこの箱のなかから出てくる。時には間違ったこともまことしやかに本物のごとく出てくるから要注意ではあるが。
 しかし、どのような内容のことであっても、それまで知らなかったことに対して、漢字に対して辞書をひくように、それを調べるとそのことが漢字に対する辞書引きの結果と同じようになる。「へえーっ。そういうことか」と面白がっていられるのである。
 さて以上を考えると、もしかするとこの辞書引きの習慣は、心の若さを保ってくれるかも知れないと思えてくる。大した労をせずに、新しいことを理解できることによって、いつまでも新しいことに興味を持ち続けられるために。
 ウェスレーは、キリスト者は死ぬまで恵みに成長できると主張した。しかし成長とはその人にとって新しいことであるから、いつまでも心の若さを保たないとそれもおぼつかない。恵みに成長し続けるための一助として心の若さを保つ努力がいいかも知れない。辞書引きをして。

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