同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 捕えようとして追求しているのです —

吉田 浅

 新しい年を迎え、皆さんはどのようなスタートをされたことでしょうか。
昨年、私に与えられた御言葉は「新しい事をわたしは告げよう」(イザヤ42章9節)でした。
この1年を振り返ってみますと、仕事面においては9月より精神科急性期病棟が開設され、病院としての機能が大きく変わりました。これを受け、入退院者がほぼ毎日いるという状態となり、あわただしい日々でした。一方で、そのような中でも病院の管理運営が守られ、自分の健康面においても守られたことを、主に感謝しております。
 信仰面においては、「祈りなさい」「感謝しなさい」「とりなしなさい」「忍耐しなさい」「聖書を読み込みなさい」等を主に語られました。そして、最近ヨブ記を通じて示されたことがあります。ヨブ記42章10節には「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物を全て2倍に増された」とありますが、ヨブ記にはヨブは多くの苦難を通して神と出会ったということ、そして神と出会う前の半生より後の半生において2倍の祝福を受けたということ記されています。この箇所から、主が私に「あなたは、まだ私と出会い、私と語り合っていない。私からの祝福もまだ半分しか受け取っていない。あなたは信仰生活の意味を、まだ半分も解っていない」と語っておられるような気がしました。大切な語りかけをいただいたと感謝しています。
 新しい年の御言葉は、「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えて下さったのです。」(ピリピ人への手紙3章12節)です。新しい年、神を追い求め、主と交わり、主とともに歩ませていただきたいと思います。

(盛岡聖泉キリスト教会 会員)

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