同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 息子たちと共に生きる —

森田 心

「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。」
(エレミヤ書 9:24)

 皆さんは新しい年を迎え、この同労者をお読みになっておられると思います。私は今、12月の締め括りの時に、一年を振り返って書いております。この年は私にとって心も体も大変苦しい事の多かった事を思いながら、しかしそれを思う時に、神の御助けと慰めの御手がいつも側にあった事を強く感じ、今立っている事が証しといっていいほどに私を支えて下さった神に感謝いたします。
 この誌面にも、時々参加させていただき、子供達との関わりの中で親として、先を歩んで来た者として語らせていただくと共に、自らを見直させていただく良き時でありました。親として子供を大きな危険から守っていかなければなりません。しかし子供に与えられた試練には、親としてどう向き合っていかなければならないかを問われ続けます。
 三男は学校での部活でサッカーをしています。その中で日曜日は教会と土曜日は掃除の御用が与えられている為に、週末の試合などには出れず、それに加えてチームの者達から教会に行っている事で中傷されることがあります。自ら歩み出した時に受ける彼らの十字架を見る時にそれはまだ彼には早い、まだ重すぎると言ってしまうのではなく、まだ遠くから彼は十字架を見ているような者ですが、そこに向かって一歩ずつ近づいていき、いつの日か彼がそのイエス・キリストの十字架の足下に来てひざまずいて自らの為にあることを彼がつかみとって欲しいと願っています。彼の苦しみを取り除く為に親は助け手となるのではなく、厳しさを教え続け、自らが十字架を誇りとして、子供の前に胸をはっていられるように立ち続けていたいと願っています。
 彼もこの先、自分のやりたい事、自由というものに戸惑いゆさぶられることでしょう。私も若かった時には気づかずに先を歩んできた中で、注がれ続けた愛の故に今あることを思う時に、私の愛する息子にもその事を知り得る時まで、試練の道を彼と共に歩み続けていこうと思います。そしてその先には真の生命が約束されている事を信じて。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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