人物伝
- 山本岩次郎牧師の思い出(15)-
秋山 光雄
第2部 荒川教会週報抜粋集(つづき)
【1963(昭和38)年12月29日】消息欄
22日聖日(降誕節)教会学校59礼拝63と104で167、本年最高を記録した(第2は創立満15年記念5月26日153)14増である。これで目標達成は祈祷会103 伝道会116でそれぞれ満たされた訳で大いなる感謝であった
会員全体が「かくれし力」を出し合って主の命の為、その旨を己が旨として実践する時たとえどんなに一人一人は弱く貧しい者であってもその栄光をあらはす事が出来る
これ大いなる証しである
来る年の降誕節礼拝は区会館を借りてする事を宣言した。心ある信仰者は共鳴を感じて居られた
この日最后の受洗者8名(氏名省略)
以上は何らかの関係者の結実である
牧師は年末これらの兄姉の受洗の為に一寸忙しく労さして頂き大いなる感謝であった。
健全なる成長の為にお祈り下さい
伝道会はクリスマス祝会とする300名 大人の方の出席が例年になく充実で是又大いなる感謝であった 斯かる地方の「教会」を認識されつつある証である。
青年、ベタニヤ会のカタコームの熱演で例年より一寸遅かったが。
年末感謝会50と62 昨年の80代よりぐっと増
30近い兄姉の証し多謝
一切の栄光を神に。
【1965(昭和40)年2月24日・消息欄】
最近2件程家庭の子女が学校からの選出候補に挙げられ歌の練習の事があったがそれが聖日午前にかかって居るので断った。放送に出る事で子供は大分心動かされたがそれよりも礼拝を守る事を聞かされて納得した。幼い時から神第一に生活をする事をしこまれる子供らの将来、栄光あるのは当然である。それには家庭全体が一致して居らねばならない。子女の与えられる前に夫婦の霊性の一致を建設せん事を。
【1965(昭和40)年5月16日・消息欄】
△教会学校 22と43で65 書斎の丁度下の教室の組の様子がよく分かる
先生はお話しをして居るが子供は関係なしに笑ほうけて居る
のぞいて見れば信者の家庭の子供達三人
きつく叱りつけた
大分薬が効いたらしい
後で親達の報告があった
聖書知識を与える目的は神を知らしめてそれを畏れかしこます為である
不敬虔になることを恐れねばならない
教師は塩と砂糖の役をほどよく(以下省略)
【1965(昭和40)年5月30日・消息欄】
△教会学校 21と36で57
聖書知識を与える事が此の学校の目的であるがそれを為しつつ神の前に悔い改める事
救い主なるキリストイエスを信ずる事 そして彼らも大人たちと同じように神を畏れ又信頼して生ることを教えねばならない
教えると云えばその事を説明する事だとすぐ思ふがそれを「しつけ」る事を云って居るのだと受け取るなら判って貰えると思ふ
それは当然教師自身の霊的能力の問題となる それは牧師 父母 教師 凡てに云える事ではあるが
【1965(昭和40)年11月28日・消息欄】
先日、礼拝を休んだ兄弟が隣の住人から「今日は教会は休みなんですか?」と尋ねられたという。日曜に家で時間を浪費するのは本人よりもむしろ未信者が不思議がる。徹底した教会生活を辿ることは最も強力な証しの一つである。
【1965(昭和40)年12月26日・消息欄】
23日聖日週間
△教会学校 1633で49
△礼拝 78と98で176
男女の差20但し本年最高(会堂においては12日のクリスマス礼拝で203であったが)
座席案内者が嬉しい乍ら一寸とまどった日であった
区会館に見えた新来会者も加わったからである
年末を迎え一日一日時が過ぎて往く中にある時又しても厳粛な思ひに捕はれ 自分の人世の終りが近づいた時の事を考えさせられる
そこにあるものは何だろうと月並みの様だが反省と同時に展望であり自己を取囲む人々えの顧みであろう(妻に対し子に対しそして関係者に対して)死に対しては未経験であるが この厳粛な一時の為に年末は非常に価値ある訓練の時でもある
来年がある(何でもなく当然の如く)と云う安易さから多忙にまぎれ(真実はそうでない者まで)で心ない日時を過ごすとすればやはり愚者のそしりを免れる事は出来ない。
年末は 1年間の会計の時 審判の時でもある
正直に率直に1年間の実績の前に謙遜に認めつつ教会の働きに対しても一寸計算の時をもった
礼拝平均143 昨年より5増、伝道会91 5増、祈祷会87 6増と云う処であった(但し19日まで)
△伝道会 54と55で109
本年最后一生懸命当務させて頂き大きな感謝を覚えた 説教後 男2の受洗者があった 感謝
△年末感謝会 77と78で155で創立以来最高で茶菓の補充の為に走った者もあった様だ
多くの兄姉の尽きる事のない感謝の言の中に1年間面顧した主牧のかくし芸も興を添えて10時過ぎ感謝の中に閉じた
一切の栄光を主に (完)