同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 三人の息子 —

森田 心

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」(ヨエル書 2:28)

 私には三人の息子がいます。長男は社会人として働いており、次男は高校生で、三男は中学生です。特別に三人別々の個性を生かそうと、違うように育ててきたわけではありませんが、好みもさまざまで何が食べたいと言えば焼肉、お寿司、おそばと言った具合です。更に食べ物にかぎらず、取り組み方や速度もそれぞれの色があります。
 その三人の息子達を見る時に、神から与えられたこの子供達の成長の中に、日々私共の為すべき事が求められ、問われます。それ故に神を畏れ、まず自らがどのように神の御旨のうちに生き、献げる者であるかの大切さを感じながらここまで歩んできました。そしてそこには確かに神の豊かな恵みとあわれみの御手があって、この子供達が守られてきたことを感謝しています。教会の中でも、愛され育まれて来ましたが、いよいよ神から与えられた賜物を十分に生かさせていただいて、いつまでも手を引かれていく者ではなく、神の戦士として福音の働きに生きて、そして救いへと導かれていくことが出来、神の家族として共々に生きることが出来る日を祈り願っています。
 特に長男と望ませていただいたことは、地元の企業で、転勤出張がなく、集会を守れる所へ就職が与えられることでした。願ったとおりの就職先を与えられ、二年目のこの所まで、困難も持ちながらではありますが、自宅から通いながらおります。まだまだ未熟な所の多い者ではありますが、教会では神に仕える御奉仕も与えて下さり、礼拝のピアノの御用にも就かせていただいています。そこにおかれている自らの幸いを悟り、信仰者として立っていってもらいたいと思います。そして続く弟達も神の腕の内に守られていけることを切に望んでいます。
 私は父親として、信仰者の彼らの先を歩いて来た者として、見せることに意識をおくのではなくありのままに、日々の生活、仕事、家庭、そして教会を愛し生きている姿勢を保ち、ゆるがされる者ではなく、力強く働く主の御助けをいただきながら強く立っていたいと願っています。細かな所では、言葉遣いや彼らとの食事を共にする時間、会話の時など更に集会への姿勢、当務に対する責任に対しても得手の部分だけすることや、小手先で行うことのないように、日々神の真理の中に自からをさらさせていただきながら、かたよりのないように進ませていただきたく願っています。
 そして一日でも早く、愛する三人の息子が神を霊と真をもって礼拝する礼拝者として立つ日を待ち望んでいます。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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