同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

社会人も、学生も忙しい
- 主に仕え続けること -

石井 和幸

「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」 ヨハネ13:14
「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」 エペソ6:7

 読者の皆様、今年も宜しくお願いいたします。月1回の同労者ですが、また今年も主の前に自らを見つめる時として、取り組ませていただきたく思っております。
 さて、表題のことばですが、これは私が社会人に成り立ての頃に思ったことです。 社会人は確かに忙しい。しかし、朝起きる時間、一日過ごすサイクルは毎日ほとんど変わりません。常に仕事、動きがあります。 大学生時代の私は、一日のサイクル・・・どう過ごすかは基本的に自分次第だったので、寝起きの時間が不規則でした。 そして、礼拝説教よりも長い1コマ1時間30分の講義を、5コマ・・・一日座って聞かなければならない日もありました。居眠りしてもしきれないほどでした(笑)。遊ぶこと、休むこと、奉仕の時間、アルバイトの時間も自分が決めて、遊んだり、アルバイト等を行った分、どこかで勉強をする時間にしわ寄せがきてしまうのも、自業自得の状況でした。そして、ちゃんと試験において責任、結果を求められますので、そう考えると(学生も忙しいし、大変だな・・・)と思ったのです。
 学生時代、教会の某会議で、「教会の奉仕は、忙しい社会人よりも、どんどん学生に担ってもらった方がいい」という意見が出たときがありました。それに対し、現在同労者の編集委員である野澤兄が、「確かに学生より社会人の方が、教会の奉仕ができる時間は制限されるかもしれないが、信仰面はむしろ求めればより成長が与えられていくのだから、学生よりももっと主に仕えることに積極的になるべきで、いよいよ主に従う信仰生活が、整えられていくことを望まなければならない」といった内容の旨を発言されました 。 私も、私の家内も、社会人2年目、3年目と進むにつれ、毎日の仕事、戦いはすさまじい有様でした。日曜日・・・教会にはいましたが、(とりあえず奉仕はどうだっていい、今の自分は仕事と自分の生活で余裕がない) と思ううちに、しだいに神に対する思い、そして愛する先生や兄弟姉妹に対する思いが薄れていってしまう自分でありました。ですが、社会人の先輩が、教会においてしっかり荷を担い、キリスト者の家庭を築いている姿をみたときに、もういちど自らが主の前に立っていくことの大切さを悟り、そして自分は多くの方々の祈りに支えられていることを覚えました。 (教会の細かな奉仕はできるだけ自分よりも若い人がやったほうがいい)と考えていた時期もありましたが、牧師先生方、 兄弟姉妹と主に仕えることを通して、関わりをもち、そこで、信仰とはどういうことであるか、その王道、真理を教えていただき、主からたくさんの恵みをいただいたことは大変感謝なことでした。 家内の場合は、小さな教会だったので、奉仕を選ぶ余裕はありませんでした。 教団の集会や超教派の集会に出席するときは牧師一家と同じ車で・・・といったことも多くありました。そして、家内は特にKGK(キリスト者学生会)の先輩の姿をみて、主に仕えることを続けることができました。
 昨年、「女子会」ということばが流行りました。女子会とは、独身の若い女性が集まってガールズトークをすることです。KGKの卒業生も、「女子会」が流行りました。けれども、「男子会」ということばは聞きませんでした。 状況を聞いてみると、若いキリスト者男子間のコミュニケーションは、(私の周囲においては)あまり得意ではないようです。KGKにおいても、ちょうど私の世代が、教会を支える立場になっているのか、それとも仕事に没頭して、教会に来ているのかどうかも消息が分からなくなっているのかが大きな話題になっています。男は自らの職業を営み続けることが使命ですから、それに支障をきたすことは注意していかなければなりません。 けれども、自らの信仰まで失ってしまうのは、大変悲しいことです。 私と家内は母教会に残りつつ社会生活を営むことができましたが、母教会を離れ、学生時代の教会も離れて、社会生活、信仰生活を行う若いキリスト者は、本当に学生の時以上の強い気持ちで主を求めていかなければなりません。
 先月号にて、私たちの周囲には多くの主にある証人がいること、そして、「それ以外やることがあるのか?」と言わずに、どのような形でも愛する人たちと共に主に仕える大切さを証しさせていただきました。 今回はさらに、(自分よりももっとふさわしい人が・・ 他の人に任せて、自分はおとなしくしていた方がいい)という思い。そうしなければならない場面も確かにありますが、そういう思いよりも、基本的にはやはり、(主のためなら、どうぞ用いてください)と告白し続けたほうが、主からの祝福は大きく、自らが主によって成長が与えられ、キリストの苦しみの欠けを補うことができる器に整えられていくことを証ししたいのです。
 昨年末からいよいよ私の家庭も主にある3世代の生活が始まりました。ここまでの導きは本当に大きな主からの祝福です。「主に仕え続けること」の恵みをダイレクトに子どもに伝えることを、今年も私たち夫婦の目標にしていきたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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