同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神の家族とともに —

石井 ミワ

「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」
(Iテモテ 3:15)

 私が結婚に導かれ、仙台聖泉キリスト教会の一端に加えていただき、早3年が経とうとしています。
 初めてこの教会で証しをさせていただいた時、私は「導きによって、十字架のかげで共に歩める人と結婚することができました。これからも、神様の導きに従おうと、心に覚えて祈っています。」と証しさせていただきました。今、子育てをはじめとした様々な取り組みの中で、話をしたりぶつかったりしながらも、その思いを強めています。
 先日行われた集会で、私はパソコンの操作を担当したのですが、脚本を読んだつもりで思い違いがあり、進行の妨げになったことがありました。その時、主人からは「読んだつもり、じゃなくて、もっと謙遜に奉仕にあたってほしい」と言われました。言われた時はちょっとムッとしたのですが、一息ついて考えた時に、そこに「こういう音楽だし、こういう進行だろうな」としてよく確認しなかった自らの傲慢な思いがあったことに気付かされ、反省したことでした。
 また、伝道師の先生から「こうしなさい」と言われたことを主人と分かち合った時に、「あなたは、一部そうしようと思っているけれど、従えないと思っている部分があるよね?そこはよく相談して、先生が意図されるところを確認するべきじゃない?」と言われ、先生とお話しさせていただいて、納得したこともありました。
 また、教会の中でも先生方をはじめ、先輩方からも様々なことを教えていただきながら歩ませていただいていることを感謝しています。特に先生方からは、神の前に出る態度や、具体的に愛を表すことを教えていただきました。以前の私は本当に足りない者で、「自分はできている」と傲慢な思いを持つ者でした。しかし、神の前で頑なな思いをひとつひとつ砕いていただきながら、だんだんと変えられている自らを覚えます。
 与えられた娘も教会の中で愛され、すくすくと育てていただき、1歳8ヶ月になりました。この娘にも福音を伝えていく、という使命を覚えつつ、親としてどうしていくべきか、教えていただきながら歩む日々です。数ヶ月後には主人の両親をはじめとした新たな家族との同居もはじまります。また現在、新たな命が与えられるように、祈り願っていることです。様々なことが起こるでしょうが、ひとつひとつ、先生方、先輩方に教えていただきつつ、従って歩んでいきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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