聖書の植物
— 聖書の樹木から —
詳細は同氏のホームページ 又は「新聖書植物図鑑」(廣部千恵子著、横山匡写真、教文館発行)をご覧下さい。
ナツメヤシ
Phoenix dactylifera
ヤシ科ナツメヤシ属
ナツメヤシの実は熟すと甘くなる
その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、 なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」(ヨハネ12:12~13)
この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(ヨハネの黙示7:9~10)
神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。(詩篇92:13)
あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。 なつめやしの木に登り 甘い実の房をつかんでみたい。
(雅歌7:8~9)
引用箇所からも分かるように、なつめやしは、優美、端麗、勝利、祝福などのシンボルとして聖書に書かれている。イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出した後、砂漠をさまよいエリムに着いた時、そこには12のオアシスと70本のなつめやしがあったと記されている(出エジプト記15:27)。
長い旅の疲れの後に見たこのエリムのオアシスと鈴なりのなつめやしの実はどんなにかイスラエルの民に喜びと希望を与えたことであろう。今でもシナイ半島を旅すると、当時のように広大な砂漠の所々になつめやしが群生している。そのような所には決まってオアシスがある。申命記34:3に「なつめやしの茂る町エリコ」と書かれているように、昔はもっと広範囲になつめやしがあったのであろう。ツロやシドンを含む地をフェニキアphoeniciaというが、なつめやしのある土地という程、昔はこの地になつめやしが茂っていたようである。なつめやしのところを以前はしゅろと翻訳されていたが、これらは全てなつめやしで、新共同訳は歴代誌下28:15のしゅろを除いてそうなっている。イザヤ9:13および19:15はkipah(hP'Ki)をしゅろの枝としている。kipahは枝や葉のようなもので、必ずしもなつめやしを意味しないかもしれないが、しゅろとはしない方がよいであろう。ヨブ記15:32は同じkipahが枝となっている。